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特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2006年分

特殊清掃「戦う男たち」

死体と向き合う

読者の書き込みの中にある質問で多いのが、この仕事をやっている動機ややることになったきっかけは?というものと、収入の金額を尋ねる内容のものである。あとは・・・幽霊についての質問などもあった。

先日も書いたが、ご質問についてはブログを通じてお応えするつもりである。
もちろん、全ての質問には応えられないだろうし、答えたくないネタには触れないので、ご容赦願いたい。そして、賛否両論もあり、読者個々に色々な感想を持たれるだろうが、書いている内容はあくまで私個人の主観であり、偏見や先入観があっても自然なことだと思っていることも併せてご了承を(つまらないジョークもね)。
ただ、できるだけ率直な気持ちで持論(自論)を吐こうとしているだけで、決して正論を書いているとか、人の上に立っているという勘違いをする程バカではないと自認している。

今回は、この仕事をやっている動機・きっかけについて簡単に記そう。
動機・きっかけをきれいに言うと、「好奇心」である。悪く言うと「現実逃避」とも言えるかもしれない。

東京都内の三流私立大学卒の私は、学生時代はアルバイトと遊興三昧。学業はおろか、就職活動業もまともにやらなかった。当時は、企業の求人に対して学生の方が少ないような好景気だったから、同級生達は皆、名の知れた企業(ほとんどが上場企業)へと就職していった。

そして、私はそのまま卒業し、社会的な肩書はいきなり「学生」から「無職」(当時はプータローと呼ばれていた)へ。住所不定じゃなかっただけマシかもしれないが、22歳で無職の私は、いきなり社会(家族)からダメ人間の烙印を押されたのである。

特に専門的な資格・技能を持っている訳でもなく、他人に抜きん出た能力がある訳でもなく・・・一番問題だったのは夢(やりたい仕事)がなかったということ。他人からすると、バカバカしいくらいワガママで自分に甘くて弱々しい人間に見えたことだろう。

そういう状況で、人から非難され続けると、次第にやる気が減退していき、徐々に鬱状態になっていき・・・そのうち「人生の意義」とか「生きる意味」とかを考えるようになり、生きる気力を失っていった。

そして、極端な鬱状態に陥った。学生時代の楽しかった思い出ばかりに浸り、幸福を空想し、実家の一室に引きこもった。そんな生活が半年続いた。
「このまま生きていてもいい事は何もない」「自分の将来には辛くて苦しいことばかりが待っているだけだ」「生きていても仕方がない」と考えるようになっていった。
そして、とうとう自殺を図ったのである(自殺未遂の詳細は省略。思い出したくないので。とにかく、心身ともに辛かった!)。

幸か不幸か自殺は未遂に終わり、私は生き残った。助けてくれた方々に申し訳ないけど、その時は生き残った喜びはなかった。
とにかく、周りの人々・家族に大変な迷惑をかけてしまったことは事実。

とりあえず、生きてみることにした私は、夢や生きがいを求めるのはやめて、ただ少しでも興味の持てそうな仕事を探した。精神科と職安と立呑屋に通いながら。
その時点では「新卒」ではなくなっていたものの22歳の私に選べる仕事はたくさんあった。しかし、人生を悲観している私でも、何故か将来(人生)が先読みできてしまうような仕事に魅力を感じなかった。
そうこうしているうちに巡り合ったのが「死体業」であり、好奇心の赴くままにその世界に飛び込んだのである。その時も、「あとはどうにでもなれ」という、人生を投げやりに思う、短絡的な気持ちがあったのも事実。

さて、応募して面接に行みたら・・・年齢も若く華奢に思われたのか、最初の面接でいきなり不採用にされてしまった(もちろん、精神科に通っていることは内緒にしていたのだが)。

さすがに「不採用」はショックだった。

「こんな仕事なんだから、雇主からすると即採用、大歓迎に違いない」

と高飛車にたかをくくっていたのである。

「三流とは言え大卒だし、年齢も若いし、どこに不採用にする要素があるんだ?よりによって死体業なんかで」

と全然納得できなかった。そう、つまり、私自身が死体業を蔑み見下していたのである。

しかし、せっかく生きることにして探し当てた仕事である。そう簡単に諦める訳にはいかない。と言うか、不採用に納得できなかった。しつこく不採用理由を問い合わせているうちに、雇主も私を相手にするのが面倒臭くなったみたいで、とりあえず押し掛け状態で仕事に就かせてもらった。

後から聞いた話だが、雇主は、「どうせ2~3日もすれば根を上げて辞めていくだろう」と思って、私には特にキツイ現場の下働きをさせたらしい。
それが、一ヶ月経っても二ヶ月経っても辞めない、半年くらいした時点では完全に戦力の一員になっていて、やっと正スタッフとして認めてもらえた。
当時のスタッフは皆、訳ありの中高齢者ばかりだった。黙々と仕事に励んでいるうちに、始めは冷たかった先輩達もはるかに年下の私を親切に可愛がってくれるようになっていた。

家族は?というと猛反対!仕事の影響でまた自殺を図ろうとするかもしれないと心配したのか、私の将来を心配したのか、世間体を気にしたのかは分からないが。お陰で?家族には、最初の何年かは勘当・絶縁状態にされてしまった。
とにかく、中途半端なことはしたくなかったし、反対した人達への意地もあったので、どんなに辛くても三年は辛抱しようと心に決めて働いた。
「石の上にも三年」「桃栗三年・・・」とも言うし。

最初は下働き中の下働き、キツイことや辛いこともあったけど、面白い事や楽しい事、もちろん刺激的な事もたくさんあった。仕事を始めてから半年で精神科も中退した。医師の判断による卒業ではなく、自分の判断による中退である。医師のカウンセリングや病院から処方される薬より、遺体から受ける無言のカウンセリングと遺族の反応という薬がバッチリ効いてきたのである。
あれから十数年・・・そのまま現在に至っている訳である。

人間は歳を重ねれば感性や価値観、ものの考え方も変わる。
正直言うと、

「大手上場企業に勤めてみたかったいなぁ」

とか

「堂々と人に言える仕事がしたいなぁ」

と思うことは何度もあった。大学時代の友人や世間一般の人と自分を比べてみて、今でも劣等感を覚えることがある。

学生時代の友人とたまに一緒に飲んでも、

「その手きれいか?」

「臭いはとれているか?」

等と冷やかされてしまうような始末である。
露骨な奴になると

「うェ~」

と嫌悪の悲鳴をあげてくる奴もいる。でも、それがまともな神経なのかもしれないし、否定できない現実。今更、気分も悪くならない。

悲しいかな、人生は一度、身体も一つ、複数の道を歩く事はできない。自分の仕事と人生、歩いてきた道と歩いていく道を想い、

「これでよかったんだろうか・・・これでいいんだろうか・・・」

と疑問に思ったり、将来を不安に思ったりしない訳でもない。後悔がないと言えばウソになる。

ただ、何故か、この仕事をやめようと思ったことは一度もない!
現在の私自身の微妙な心理と葛藤を正確に伝えるのは難しいが、それでも

「仕方なくやっている」

とか

「嫌々やっている」

とは思わないでもらいたい。

ついでに言うと、世のため、人のためにやっているつもりもない。これはビジネスである。他人の役に立つこと、喜んでもらうことは結果論・成果のひとつであって、それは初動の動機ではない。もちろん、私に仕事を依頼することによって、依頼者に満足して感謝してもらえれば素直に嬉しいし、今後もそういう仕事をしていきたいと思っているが、私は、社会貢献を口できるほど立派な人間ではない。私には「世の為、人の為」なんて、僭越過ぎる。

また、読者が私を賞賛や励ましの書き込みをくれるのは大変ありがたいし、とても嬉しいことだが(そんな書き込み大歓迎!)、勝手に私のことを善人・それなりの人格者(または極端なその逆)だと勘違いしないようにだけは気をつけてもらいたい。私は、ただただ風変わりな仕事をしている凡人。

ただ、次元は低いかもしれないが、私はこの仕事を通じて、自分なりの哲学やポリシーを育んできた。それは今も一件一件の仕事や読者からの書き込み通じて成長している。
きれい事を吐くようだが、身体は汚しても心まではできるだけ汚したくないとも思っている。

今回は(も?)堅苦しくつまらないブログになってしまった。気の利いたオチもなくて申し訳ない。

ちなみに、読者の皆さんは私のことを「管理人」「隊長」「Clean110」等と呼んでくれているが、呼称も「特掃隊長」とかに統一してもらえれば少し満足(?)。

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