Home特殊清掃「戦う男たち」2006年分明日があるさ

特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2006年分

特殊清掃「戦う男たち」

明日があるさ

私達のほとんどは当たり前のように今日を迎え、明日が来るのも当たり前だと思って生きているのではないだろうか。死体業を長くやっていると、その辺の感覚は一般の人の比べると鋭くならざるを得ない。

「自分に明日があることは何ら保証されたものではない」

「できるだけ悔いを残さないよう。やれることはやっておきたい」

と思いながら、結局は、自分に負けて堕落した生活を送ってしまう私である・・・(苦笑)。

 

ある若い男性が死んだ。自宅二階のベッドの上で。自殺ではなく自然死。私が現場に出向いたのは、当日の夕方近くになっていた。
特殊清掃の依頼といっても、ベッドマット(敷布団)の一部が糞尿で汚れていたくらいで、その汚れは私のような専門業者に依頼する程のものではなかった。依頼者は故人の母親で、息子の急死が信じらないというか、受け入れられていないというか、夢の中の出来事のように、どこかボーッとした感じだった。

私の話も聞いているのか聞いていないのか分からないくらいに、返答もハッキリしない。それだけ、大きなショックを受け、頭がパニックを超えたパニックになってしまっていることが見て取れた。

私は、とにかく依頼された作業をした。前記した通り、大した汚れではなかったので作業自体はすぐ済んだ。
でも、作業が完了してすぐ立ち去ることができなくなった。
母親の状態を見ていると、とても母親を一人残して帰る訳にはいかなくなったのである。

人はその時々の精神状態によって突拍子もない行動にでることがある。それがいい行動とは限らない。その母親にはその心配があった。

外も暗くなり時間も遅くなったので、正直言うと早いところ退散したい私だったが、夫(故人の父親)が戻ってくるまで待っていることにした。
待っている間、電話が何本もかかってきた。どこかでこの家に起こった不幸を耳にした友人・知人・関係者がジャンジャン電話をかけてきたのである。電話にでる度に母親は

「うちの○○(息子の名前)が死んじゃったのよぉ」

と世間話でもしているかのような口調で受け答えていた。そのやりとりを聞いていたら、なお更、この母親を一人にしておく訳にはいかなかった。
当然、夫も仕事どころではなく、死んだ息子のことで外を走り回っていたらしい。

夫も帰宅を待つ間、電話がないときは一方的に喋る母親の話を黙って聞いていた。
息子は、昨夜、少し風邪っぽいということで市販の風邪薬を飲んで、いつも通り二階の自室に入って就寝した。ところがである。今朝になって、いつも起きてくる時刻になっても一階に降りて来ない。母親は「ただの寝坊」と思い、

「仕事に遅れるといけない」

からと息子を起すために入った。すると、ベッドに寝たままの状態で息を引き取っていたというのである。その後は、救急車を呼んだりしての大騒ぎ。でも、結局、息子は帰らぬ人となってしまったのである。

そんな話を聞いて、私はどんな表情をすればいいのかも分からす、掛ける言葉も見つからなかった。ただただ黙って、そこにいるしかなかった。

しばらくして、冷たくなった息子は葬儀社の寝台車に載せられて、父親と共に無言の帰宅。
部屋の布団に安置するのを手伝った。検死を受けたため息子は裸だった。
そこには同年代の若い男が二人いた。
一人は私、死体業、生きている。
もう一人は故人、会社員、死んでいる。
何とも言えない複雑な心境で、強い同情心を持ったのを今でも覚えている。

父親は、少しは冷静さを持っており(当然、落胆の色は濃かった)、お悔やみの言葉を伝え、私は自分がやった清掃作業の内容を説明して帰ろうとした。もう、外は真っ暗になっていた。
帰ろうとする私の後ろから、両親の

「裸のままじゃ可哀想だなぁ・・・」

と言う声が聞こえてきた。こんな私でも良心があるのか、足が止まった。
自分は遺体処置もできる旨を伝え、故人が愛用していた洗いたてのパジャマを着せ死後処置をした。ここまでくれば何かの縁、これでお金をもらおうなんて少しも思わなかった。
両親は、深い悲しみの中にも感謝の気持ちを伝えてくれた。
そして、私は帰途についた。
あれから、10年以上経つが、あの現場のことをたまに思い出す。

「死」というものは、老若男女・年齢・社会的地位・経済力を問わず、誰にも必ず訪れる。
それが、明日かもしれない・・・。

このページのTOPへ

お問い合わせ

WEBエッセイ「特殊清掃・戦う男たち」

特殊清掃 よくあるご質問

特殊清掃 取材・公演依頼

対応エリア

対応エリア
関東全域をメインに対応いたしております。
その他、全国も関連会社より対応いたします。