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特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2006年分

特殊清掃「戦う男たち」

「悪夢にうなされるようなことはないのか?」という類の質問が読者から寄せられることがチラホラある。
そういう質問を受けてあらためて思い出してみると、私は仕事がらみの夢はあまり・・・と言うかほとんど見ていないことに気づいた。
ただ、そんな夢も皆無ではない。
かなり前にみた夢だが、覚醒してからもしばらく後味の悪い思いをした夢を紹介したいと思う。

遺体処置業務のこと。
古めの一戸建、私は死んだ老婆に死後処置を施していた。
遺族も一緒に立ち会い、ほとんどの遺族に共通して見られるように、その雰囲気と振舞いは悲しみに包まれていた。
昨日のブログ記事にも通じる部分がある、何となく身体の温かさが残っている、まだ生死の間にいるのではないかと思えるような遺体だった。
作業を進めているうちに、何となく遺体が動いたように感じた。
「気のせいか?」と思いながら更に作業を進めていると、今度はかすかに息をしているように感じた。
さすがに変に思った私は遺体の口元に耳を近づけた。
かすかながら、しかし明らかに呼吸をしていた!
そして、かすかに身体も動き体温も取り戻してきていた!
そう、老婆は生き返ったのである。

驚いた私は、一気に興奮状態。
急いで口や鼻に詰めた綿を取り出し、老婆の蘇生を手助けしようと躍起になった。
一緒にいた遺族にも「おばあさん、生き返りましたよ!」と喜びの声を掛けた。
と同時に「急いで、救急車を呼んで下さい!」と頼んだ。
私は「死者の蘇生」という初めての経験と、老婆が生き返った喜びにかなり興奮していた。

しかし!遺族は一向に救急車を呼ぶような素振りは見せず、何やら身内同士でヒソヒソ話を始めた。
「急いで!早く!」と促す私と、それを無視して静観する遺族。
そして、よく見ると老婆の蘇生を喜んでいる遺族は一人もおらず、それどころかみんな困ったような不快な表情を浮かべていた。
遺族との間にかなりの温度差があることに気づいた私は、独りで勝手にテンションを上げてしまった気恥ずかしさと、蘇生した老婆をどうすればいいのか分からなくなった困惑とで気分がブルーになってしまった。
「なんて冷酷な遺族なんだ!」「さっきまで、老婆の死を悲しんでいたばかりじゃないか!」と。
そんな状況の中で目が醒めた。

この夢を見た当時は、この遺族に人間の本性を見てしまったような気がして後味の悪さに閉口したものだった。
しかし、今、あらためて思い出してみると当時とは違った考えが湧いてくる。
「老婆の蘇生を素直に喜べない、他人には分からない事情があったのかも」と。
介護や看病などの手間、人間関係の問題、経済的な理由など・・・。
夢の中の出来事とはいえ、老婆の蘇生に歓喜した私の喜びは、所詮、人の生存本能からくる無責任な喜びでしかなかった。
対して遺族には責任がある。
「老婆に対しての責任がつきまとう遺族には、素直に喜べない事情があったのかもしれない」
今は、そう思うのである。
そして、私が、遺族や遺体に無用な感情移入をしないようにしている理由は、この辺りにもあるのだろう。

「他人の不幸は蜜の味」という言葉がある。
イヤな言葉だけど、人間の本性を突いた言葉でもあると思う。
私自身にも思い当たる節がたくさんある。
自分以外の人間と喜びや悲しみを真に共有することって、かなり難しいと思う。
ましてや、赤の他人と死の悲しみを共有することなんかできやしない。
少なくとも、この私には。
だから、遺族に対して無責任かつ野次馬根性的な感情移入はできない。
そして、自分のことを、「他人と喜びも悲しみも共有できる善人」と勘違いしないように気をつけている。恥ずかしながら、実態はその逆だから。

そんな私の態度は時には冷淡に、時にはビジネスライクに、そして時にはプロっぽく映るかもしれない。
賛否あると思うが、それが私なりに義であり礼である。

梅雨のせいで脳ミソにカビが生えたのか、仕事疲れのせいで脳ミソの回転速度が落ちたのか、最近はサッパリとくだらないジョークを思いつかなくなった。くだらないオチもね。
そんなの必要ないかもしれないけど、そんなささやかな笑いを提供できる粋な(自己満足)自分が好きだったりするものだから、最近の自分を自分で観察すると「イケていなぁ」とぼやきたくなる。
くだらない事でも笑えるくだらない男だから。

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