特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2007年分
特殊清掃「戦う男たち」
限りある時間
人(この世)の命が有限なのは承知の通り。
  だだ、時間そのものって無限なのだろうか、有限なのだろうか。
時間は万民に公平に与えられているようで、実はそうでもないようにも思う。
  これは、単に寿命の長短を指してのことではない。
嬉しい時・楽しい時、時間の経つのがメチャクチャ速い。
  その逆に、苦しい時・辛い時は時間が経つのも遅い。
と言うことは、人生を楽しく謳歌している人は、一生も短く感じるのだろうか。
  そして、私のように苦しみながら生きている者にとっては、一生は長く感じるのだろうか。
時間経過の感じ方は皮肉なものだ。
  少々簡単過ぎる解釈になるけど、「苦しめば長寿、楽しめば短命」ってことにもなりそう。
  一般的によく耳にする言い方は、「細く長く、太く短く」。
  そんなことを考えていると、むやみに「寿命は長い方がいい」とは言えなくなる。
地味~な暮らしをしている私には、時間が速く過ぎるといった感を覚えることはあまりない。
  ・・・あ!一つだけある。睡眠時間だ。
  一日を終えて横になる時の気分は格別。
  しかし、やっと布団に入れたかと思ったら、アッと言う間に朝になっている。
  朝が来るのって、なんでこうも速いのだろう。
  「さっき寝入ったばかりなのに、もう朝?」
  「時計が壊れているんじゃない?」
  と何度も時計を見直してしまうこともある。
  特に、今のような寒い時季の起床は辛い!暗いし寒いし。
ちなみに、翌日にヘビーな特掃を抱えていると、別の意味で格別。
  目が冴えてなかなか眠れないうえに、寝汗をかいて唸されることもしばしば。
他に、時間経過の感じ方が麻痺することもある。
  仕事に追われている時。
  やらなければならないことが後手後手になっている時や、何らかの理由で仕事が予定通りに進まない時だ。
老朽の公営団地。
  ビビりながらも、「頑張ります」と請け負った汚腐呂掃除。
  言葉通りに頑張って、浴室・浴槽をきれいにした。
  仕事の成果に遺族(依頼者)も満足。
  そんなところに管理組合の主が現れた。
  「この浴槽は団地のモノではないので撤去して下さい」
  「え?風呂も片付けなければならないの?」
  困った遺族は、すがるような目で私を見た。
  「仕方がないですね・・・」
  予定外のことだったが、私は、浴槽を引き取ることにして、それを動かした。
ここで説明を入れておく。
  古い団地やアパートには、浴室はあっても浴槽は住人が持ち込み設置するところがある。
  そして、退去するときは住人の責任において撤去しなければならない。
  風呂も、家財の一つという訳だ。
「風呂」と言っても色々ある。
  浴槽だけの場合もあれば、給湯機械付のものまで多種多様。
  ただ、総じてそのサイズは小さい。
  「これが風呂?小せぇー」
  と驚くほど小さいものがほとんど。
  だから、一人でも持ち上げられる訳なのだが。
話を戻す。
  浴槽を持ち上げた私は仰天!
  浴室の出入口と浴槽のサイズが合っていなかったのだ。
  明らかに、浴槽の方がデカい。
  狭い入口からは、どうやっても浴槽を出すことができなかった。
  「どうやって入れたんだろぉ・・・」
  私はパズルでも解くかのように、浴槽の向きをあらゆる方向に変えながらチャレンジしてみた。
その時点では普通の浴槽に見えていたけど、それが元は汚腐呂だったことは遺族も管理人も承知のこと。
  浴槽を抱えて四苦八苦する私を気まずそうに見ているだけで、誰も手伝ってくれようとはしなかった。
  また、「手伝ってくれ」とも言えなかった。
  モノがモノだけに、苦労が絶えない仕事だ。
「ハマってしまった!」私は、焦ってきた。
  時間制限はなかったものの、素人っぽい仕事ぶりを遺族・管理人に見られていることにプレッシャーを感じていた。
  悪いことをしている訳でもないのに「針のムシロ」状態で、妙に居心地が悪かった。
  こういう時は、時間経過が速いようでもあり遅いようでもある。
  結局、浴槽はかなりの荒ワザを使って撤去した。
私には、毎日が長い。
  いいことなのか、わるいことなのか・・・いいことではなさそうだ。
  それでも、一生を終えるときは「アッという間だった」と思うのだろう。
できることなら、毎日が短く感じるくらいに、充実した日々を送りたいものだ。
  限りある時間の中に生きているのだから。






