Home特殊清掃「戦う男たち」2007年分目的地

特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2007年分

特殊清掃「戦う男たち」

目的地

長閑な昼下がりのある日、電車に乗っていたときのこと。
車内は乗客もまばらで空いていた。
私の向かい側に座る高校生らしき男子の会話が耳に入ってきた。
どうも、高校卒業後の進路(大学受験)について話しているらしかった。

「第一志望、受かりそうか?」
「厳しい!お前は?」
「俺もビミョー、模試もギリギリ」
「第二志望は?」
「だったら、イケるかも」
「落ちたら浪人?」
「多分な」
「だよな」

その昔、自分にもそんな時期があったことを懐かしみながら、目的地までの暇つぶしに彼等の会話に耳を傾けた。

「今時、高卒じゃ社会に通用しねぇだろ?」
「しねぇ、しねぇ」
「それどころか、大卒でも三流は厳しいらしいぞ」
「うぁ~、それだけは避けたい!」
「死んだ方がマシ!」

「死」というキーワードに私の脳が反応した。
もちろん、彼等は軽い冗談のつもりで吐いたセリフなのだろうが。
「死ぬなんて言葉を軽はずみに使える人間は、幸せ者かもしれないな」
私は、そんな風に思った。

学歴に対するこの価値観は、私にも身に覚えがある。
学問より学歴の方に価値が置かれている今の社会。
では、何のために学歴を求めるのだろうか。
社会的地位や権力の獲得?
その向こうには、やはり経済力への羨望が見える。
そして、経済力を持つ目的は、幸せな人生を手に入れること。

人々の考えの中には、幸せな人生を獲得する確率・可能性を少しでも高めるための重要素として学歴があるのだろう。

「経済力と幸福度は比例する」
こんな価値観が蔓延して久しい。
人類が貨幣経済を手に入れてからの、永きにわたる命題だ。

それはそれで今の社会を構成している大きな価値観なのだから、私は否定するつもりはないし、私が否定できるものでもない(私もお金が大好きだし)。
これも、時代の文化かもしれない。
しかしまた、これがどれだけ幸福人生の実現に貢献できるものなのか、調べられるものだったら調べてみたい。

こんな私が吐いたところで何の説得力もないけど、
「経済力を持つことと、人間が幸せに生きていけることとは必ずしもリンクしない」
と私は思っている。
この世を幸せに生きるうえでは、経済力の影響が大きいことも否定できないけど。

「経済力を持てない負け犬が、自己満足のために価値観の転換を図っているだけ」
こんな私は、一般にはそう映るかもしれない。
しかしまぁ、人の死にまみれて生きている者(私)にしか分からないことかもしれないね。

ある男子大学生が死んだ。
バイクでの交通事故、スピードのだし過ぎによる激突死だった。
運転していたのは、親が買い与えたオートバイ。
大学合格祝のプレゼントだったらしい。
ヘルメットのおかげだろうか、身体の損傷に比べて顔はきれいだった。
事故死の場合は、最期の対面がすすめられない遺体も少なくない。
不幸中の幸いと言ったら語弊があるだろうが、この親子はその状況は免れた。

彼の学校は「一流大学」と言っていいレベルのところだった。
両親いわく、中学から受験開始、高校も進学校に行かせ、大学も一流校を目指させて勉強ばかりさせていたらしい。
そして、晴れて大学生になった故人は、前から好きだったバイクに乗り始めた。
抑圧されていたものを吹き飛ばしたかったのか、受験勉強から解放された彼を抑えるものはなかっのか・・・。

「こんなことになるんだったら、好きなことをさせてやればよかった・・・」
大学二年になることなく逝った息子を前に泣く両親。
私は、掛ける言葉もなく黙って仕事を続けるしかなかった。

人生は長い道を歩いていくことにも例えられる。
その時々で、目標・目的地を持つことは大切だと思う。
ただ、それは中間目標・中間地点であることを忘れてはならない。

では、
最終目標は何?
最期の目的地はどこ?
まぁ、それが分かってれば、こんな苦労はしてないか。

私は、目的地に着いた電車を降りた。
そして、そのまま乗り去って行った男子高校生に思った。
「彼等の目指すべき目的地はどこなんだろうか・・・とにかく、中途半端な所で死ぬなよ」と。

このページのTOPへ

お問い合わせ

WEBエッセイ「特殊清掃・戦う男たち」

特殊清掃 よくあるご質問

特殊清掃 取材・公演依頼

対応エリア

対応エリア
関東全域をメインに対応いたしております。
その他、全国も関連会社より対応いたします。