Home特殊清掃「戦う男たち」2007年分メッセージ

特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2007年分

特殊清掃「戦う男たち」

メッセージ

普段は、ほとんどテレビを観ない私。
しかも、新聞も読まず、インターネットもほとんどやらないときた。
そんな私は、世の中の流れや新しい情報にはかなり疎くなっている。
しかし、情報が溢れるこの社会では、そんな受け身一辺倒の私にでも、色んな角度から世間のニュースが入ってくる。
いちいち興味を持たない私は、膨大な情報のほとんど聞き流すのだか、ついつい耳を澄ませるニュースがある。
そう、人の死にまつわるニュースだ。

事件・事故・災害・戦争・病気・自殺etc
毎日、何人もの人が死んでいる。
そんな中でも特に、
「いつ・何が起きるか分からないもんだなぁ」
と思わせるような死のニュースには、いつも偶然の生と必然の死を痛感させられる。
「俺には、いつ・どんな死が待っているのだろうか」
なんて考えると、不安と恐怖でドキドキだ。

そんなはかない人生だから、自分の命の有限性を意識し、遺言を残しておくことを勧めたい。
以前のブログにも書いた通りだ。
毎日、日記をつけるのは面倒臭いかもしれない。
だけど、年に一回、自分の誕生日などに遺言を書いておくくらいのことはできそうじゃない?
しかも、書いた後は気分がスッキリするし、ちょっとだけ生活に張りがでるし。

前回書いたように、故人の写真は、残された人がメッセージを受け取るもののように思っている。
そして、遺書は故人がメッセージを発信するもの。
ある日・突然の死は、決して他人事ではない。
そんな時のために、遺言を残しておくことを検討あれ。

私が今までに会ってきた遺体は数知れず。
その亡くなり方も数知れず。
ただ、遺書や遺言の類を見た記憶はほとんどない。
そもそも、私には関係のないことだしね。

若い女性が死んだ。
首を吊っての自殺だった。
私が現場に出向いたときは、故人は布団に寝かされていた。
舌を噛んだのだろう、口から出血があった。
「誰も拭いてあげる人はいないのか・・・」
と、自殺のせいか年齢のせいか、はたまた口から流れる血のせいか、私は深い溜息をついた。

首の傷が痛々しいばかりで、それ以外には変わったところはなかったが・・・腕と脚にある何がが目についた。
「何だろう・・・」
よく見ると、何か文字が書いてあるようだった。
ピン!ときた私は、急いで視線を外した。
そう、故人は最期のメッセージを自分の身体に残していたのだ。

関係者の情報を繋ぎ合わせてみると、やはり遺言は故人の身体に記されていたらしかった。

「余程、強い思いがあったのだろうか・・・」
これから死のうとしている人間が、自分の身体に最期のメッセージを書かく行為に、人間が人間の生存本能を押し潰す強烈な闇の力を感じ、私は奥歯を噛み締めた。

ブログを書き始めてから9ヶ月になり、合計で200編を越えてきた。
ある時期から、私はこのブログに何らかのメッセージを込めるようになってきている。
半分は意図的に、半分は無意識のうちに。
もちろん、メッセージ性のないくだらない?編もたくさんあるけど。
しかし、それで人を変えようなんて考えている訳ではない。
変わらなきゃいけないのは私自身だし、それでも変われない私自身だから。
私は、自分が書くメッセージを一番に送りたいのは自分自身なのである。
自分が発信するメッセージをブログから反射させ、自分を鼓舞し・励まし・慰め・支える・・・ある種の自慰行為かも。
まぁ、私という人間は、それだけ弱くて脆いということなのだ。

ここまで来ると、今までに何を書いて・何を書いてないかが自分でも怪しくなってきている。
そんなところで、たまに過去ブログを読み返してみることがある。

「あんな事があったんだな」
「こんな事もあったよな」
「あの時は、そう考えていたのか」
「この時は、こう感じていたのか」

たった数カ月前のことなのに、随分と昔のことのように思える。
そして、情緒が安定しない私には、まるで他人が書いたものでも読むかのように、新鮮な感覚で入ってくる。

人生、晴れたり曇ったり。
明日は明日の風が吹く。
気分もUp.Downの繰り返し。
人の死が発信するメッセージを・ブログに書き込まれるメッセージを、そして自分が書くメッセージを心に刻みつつ、携帯電話を打つ日々は続く。

 

このページのTOPへ

お問い合わせ

WEBエッセイ「特殊清掃・戦う男たち」

特殊清掃 よくあるご質問

特殊清掃 取材・公演依頼

対応エリア

対応エリア
関東全域をメインに対応いたしております。
その他、全国も関連会社より対応いたします。