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特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2007年分

特殊清掃「戦う男たち」

バナナ

現代社会、食料は豊かにあるのに、朝食を抜いた生活をしている人は多いのではないだろうか。
そう言う私も、そのクチ。
朝は食欲がないし、時間もない。
だから、意識して何かを食べないと、自然と朝食を摂らない生活になる。

「朝食を抜くのは身体によくない」
「でも、朝は食欲も時間もない」
そんな私が重宝しているのは、牛乳とバナナ。
私は、朝、このどちらかを口に入れるようにしている。

バナナって、極めて美味しいものでもないけど、甘みも食感も値段も優しい食べ物だ。
カロリーも高く栄養のバランスや消化吸収もいいらしいので、食欲と時間のない朝にピッタリ。

さすがに私の年代ではバナナは贅沢品ではなく、既に庶民的な果物になっていたので、子供の頃から親しみ深い果物だ。

小学生の頃、理科の実験でバナナの皮を使ったことがあった。
何の実験かというと、ショウジョウバエの生態観察。
やり方はいたって簡単、ガラスの容器にバナナの皮を放置するだけ。
そうすると、自然とショウジョウバエが湧いてきた。
思い出しても、一体何の勉強になったのか不明のままだ。

ハエと言えば・・・
本blogで、かつてはレギュラーメンバーだったウジ・ハエが、このところはほとんど登場していない。
何故なら、blogを書く私の頭に浮かんでこないから。

私は、日々の現場体験をリアルタイムに書くことはほとんどない。
したがって、記事の傾向に大きな季節感はないはず。
そして、寒い時季はウジ・ハエの発生も地味、派手に遭遇することも少ない。
だから、この時季は、blogを書く私の頭にもなかなか登場しないわけだ。
これも、このblogならではの季節感?

まぁ、これから暖かい季節になってくると、連中とはイヤ!と言うくらいの死闘を繰り広げることになる。
今は、「お互いに鋭気を養っている」と言ったところだろうか。

遺体処置や遺体搬送では、その業務に入る前に故人の年齢を知らされることがほとんど。
しかし、特掃の場合は違う。
依頼者や関係者に尋ねないかぎりは、故人の年齢を知ることは少ない。
そうは言っても、故人の年齢って何となく気になるもの。
だから、私は依頼者・関係者に故人の年齢を尋ねることが多い。
もちろん、依頼者の心情と場の雰囲気に配慮し、尋くタイミングに気をつけながら。

故人の年齢を知ったところで、特掃作業の実務に影響するわけではない。
ただ単に、私の精神面に若干の影響を及ぼすくらい。
長年やってても、やはり若年の死には重いものを感じる。
また、自殺の場合は年齢に関係なく独特の重みがある。

年齢問答で困るのが、女性に年齢当てを求められたとき。
会話の成り行きで、たまにそうなることがある。
そんな場面で一番マズイのは、実年齢より年増に答えてしまうパターン。
模範回答を意識し過ぎるためか女性心理に疎いためか、苦手な質問に対しては脳がフリーズしやすい私は、たまにこれをやってしまう。
自分だけじゃなく、相手の顔まで凍りつく。

模範回答は、実年齢より5歳くらい?若く言うこと。
あまりに若く答え過ぎる白々しいし、返事をするのに時間を要するのもおかしいし・・・

「私、いくつに見えますか?」
この問いに対して、瞬時に「実年齢-5歳」を弾き出すのは至難の業である。
そもそも、実年齢自体が、外見と声から推測せざるを得ない極めて曖昧なもの。
そんなアテにならないものに基づいて計算式を組み立てなければならないのだから、偉い数学者でも簡単には正解は答えられないだろう。
女性の望む年齢を答えてあげるのって、本当に難しい。

私は、年配の人と話をするのが好きである。
中学生の頃、近所にあった商店に80歳を過ぎたお婆さんがいた。
私は、そのお婆さんとの会話が面白くて、学校帰りによく立ち寄っていた。
一般の中学生にとって特段に面白い話が聞けたわけではないのだが、お婆さんが生きてきた中で経験したこと・遭遇した出来事・時代背景などを聞くことで、自分が人生を先取りできているような収穫感が得られたのだ。
そして、そんなお婆さんを見ていると、身体や脳力は衰えても、人間としての中身は円熟した味わいを増しているようにも思えたのだった。

世の女性達は、「アンチエイジング」と名のつくものに、ハエのように(失礼!)群がる習性があるようだ。
何かにつけて年が若いことにこそ価値があり、若い人をモテ囃す世の中の風潮にも問題があるのかもしれないが、多くの女性はどうしてこうも若く見られたがるのだろう。
人間をはじめとする生き物はもちろん、万物、時間に逆らうことはできないのに。

年を重ねるごとに老いていき、身体が衰えていくことは避けられない。
しかし、その中身は人が向かうべき方向にシッカリと近づいている人がいる。
この世の中には、肌の艶がなくなっても、シミやシワが増えても、誰もチヤホヤしてくれなくなっても、人としての輝きを増しながら歳を重ねている人がいる。
人間(自分)の真価がどこにあるか、それを見極められると一味違った生き方ができるかもしれない。

バナナだってそう。
見た目はきれいだけど、皮がきれいな黄色のうちはまだ早い。
皮にハリがなくなって、シミ・ソバカスができる頃が食べ頃。
バナナの真価を味わうには、この食べ頃を見極めなくてはならない。

どこをどう見ても、若くはない私。
しかし、味わい深い人間に熟するには、もうしばらくの年月が要りそうだ。

熟れたバナナを食べるたびに、そう思う。

 

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