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特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2007年分

特殊清掃「戦う男たち」

二十歳

私が二十歳の時は、大学生だった。
生きることの酸いも甘いも分からず、ましてや、死を自分のこととして捉らえることもない、薄味の若輩(弱輩)者だった。

ちょっと余談・・・
以前のblogに「都内の三流私大」と書いたけど、「都内の四流私大」と訂正しておく。
「三流?・・・二流の次ではないよなぁ」
と最近思ったので。
学校が四流なら、社会では何流?→我流?自流?

私にとって二十歳は、何の節目でもなかった。
毎年の誕生日と同じように過ぎ、まったく興味もなくて成人式にも行かず、記念写真などもない。
〝学生〟という無責任な身分も手伝って、大人になった自覚もほとんどなかった。

もともと、「二十歳=大人」という概念も、現代社会が制度的に作り出したもの。
実際には、子供・大人の線引きは難しい。
身体は充分に大人でも、精神は大人になりきれない人もいれば、またその逆の人もいるのではないだろうか。
身体は成長しきっている(それを通り越して衰え始めている)私の場合も、前者が当てはまるかもしれない。

それでも、あれから十数年の時が過ぎ、少しずつは〝大人〟になれているような気がする。

遺体搬送の仕事が入った。
迎えに行った病院は、救命救急センターも併設した大きな総合病院。
ガードマンから指示をもらい、一般の患者や家族の目には触れないようなルートで搬送車を進めた。

ストレッチャーを引いて向かった霊安室には、故人がポツンと安置。
そして、その傍らには両親らしき中年の男女が立ち、無言で遺体の顔を撫でていた。

私は、どんな顔をしてどんな言葉を発すればいいのか分からず、しばらく入口で静止。
遺体の傍らの二人は、まるで私の存在に気づいていないかのように、私の方を見向きもせず、遺体に寄り添っていた。

私は、暗くなりがちな気持ちを抑えて無表情な顔を維持するよう心掛け、言葉数も最低限に抑えて遺体に近づいた。

故人は、若い女性だった。
顔の所々にはキズ・アザ・腫れがあり、生前の顔を知らない私でも、故人の顔が生前とは違っていることが想像できた。

そして、何よりも痛々しかったのは頭。
丸刈りにされた頭髪の下に、大きな手術痕があったのだ。
「事故死か?・・・」
数多くの遺体を見てきた私は、〝交通事故〟が思い浮かんだ。

遺体を搬送するときは、頭の上から足の爪先まで スッポリとシーツで包む。
身体の一部たりとも露出することはなく、顔だけだすようなこともない。
何となく人の形をした白い包みがストレッチャーに横たわっている光景は、それが遺体〝死んだ人〟であることを強烈に訴える。
そして、その姿は、遺族にとってはとてつもなく寂しく悲しいものだと思う。

この現場も同様だった。
故人をいつもの手順でシーツに包みストレッチャーに乗せた途端、それまで静かに(呆然と)していた両親は遺体にすがりついて泣き始めた。
その泣き叫び方は作業を中断せざるをえないくらいに激しいもので、私は行き場のない動揺を抱えた。
何度経験しても、死別の悲しみに立ち会うことに、精神は慣れることができないのである。

搬送車に遺体を積み込む際も、両親はお互いの身体を支え合いながら弱々しく歩いてきた。

故人にとっては無言の帰宅となる搬送車には、母親が同乗。
故人と母親と私。
動く車の中は、母親がすすり泣く声だけが小さく聞こえていた。

運転席から見る街並みは、いつどこにでもある普通の光景。
生きる意味を知ってか知らずか、楽しそうにしている若者達の姿もあった。

若い時を謳歌して生きている人がいる中で、同じ若年で亡くなる人もいる。
搬送車の中の三人と外の不特定多数とでは、体温も気温もまったく違っていた。
同じ地上空間にいながら、この搬送車だけが異次元にいるような錯覚をおぼえるくらいに。

父親の車に先導されて、私の運転する搬送車は目的地・自宅に到着した。

親戚・友人だろう、家には多くの人が集まっていた。
そして、ストレッチャーに横たわっている白布の包みを見ると、ほとんどの人が泣き始めた。
涙が更なる涙を誘うのだろうか、序々に泣く人は増え、また泣き声は大きくなっていった。

故人を運び込んだ部屋には、きれいな布団が用意されていた。
そして、そこには、花・果物・お菓子etc色々なモノが供えられていた。

「○○大学の学生だったのか・・・」
枕元には、故人が在籍していた学校の学生証があった。

「随分と違う顔になっちゃったんだな・・・」
学生証の写真は、遺体となった故人の顔とは違う生前の顔が写っていた。

「ちょうど二十歳か・・・」
生年月日も記されていた。

何とも早くて急な死に、力のない溜息をつくしかない私だった。

寿命は人それぞれ違うけど、人生の味わいはその長短だけでは測れないもの。

とにかく、私は生きている。
自分に残された時間がどれだけあるのか知る由もないけど、一日一日、噛み締めて生きたい。

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