Home特殊清掃「戦う男たち」2007年分目に汗、心に涙

特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2007年分

特殊清掃「戦う男たち」

目に汗、心に涙

私は、歳を負うごとに涙もろくなっている。
ちょっとしたことでも、すぐに泣いてしまう。
どうしてだろう・・・自分でも分からない。
昔は、Cool&Dryを誇っていたくらいの私なのに。

blogの書き込みにもちょくちょく泣かされる。
こんな堕blogでも、それをヒントにして生きる術を模索してくれる人がいることに、目頭が熱くなる。
それは、安堵や喜びの涙ではなく、感謝の涙。
「こんな俺でも、少しは生きている価値があるんだな」
と思わせてくれる感謝の涙だ。
私にとっては、自分の存在価値を感じられることは滅多にないことだから。

その他の場合では、人に優しくしてもらったときも弱い。
私自身が、人に優しくできないタイプの人間だから。
そして、人が人に優しくしている時・・・人のために、よろこんで自分を犠牲にしている人の姿を見るときは、涙腺をくすぐられる。
私自身が、自分のためにしか生きられないタイプの人間だから。

私の心には何かが欠けている。
欠けているモノの正体は分からずとも、それを埋めるのが苦悩の涙と汗であることは何となく分かっている。

とあるマンション・とある部屋の前。
異臭が漂う玄関先で、一組の夫婦が私の到着を待っていた。

「お待たせしました」
と駆け付けた私に、
「どうも・・・」
と、軽く頭を下げる男性。
それに対し、女性の方は、
「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」
と、泣きながら私に何度も頭を下げた。

故人は若い男性、夫妻の息子。
学生だった故人は、両親を田舎に置いて都会で独り暮らし。
生計は、実家からの仕送りとアルバイトで成り立たせていたようだった。

二人は、部屋の中を未確認。
漂う異臭だけでいっぱいいっぱい、とても中を確認できる状態ではなさそうだった。

「とりあえず、中を見てきますからちょっと離れてて下さい」
と、私は首にぶら下げていたマスクとポケットにネジ込んでいた手袋を装着し、二人を遠ざけた。
そして、玄関ドアを小さく開けて自分の身体を滑り込ませると、急いでドアを閉めた。

「あ゛ー・・・」
見慣れた光景とは言え、私は、その凄惨さを無言で受け入れることはできなかった。

既に、腐敗液は玄関の上がり口まで到達。
それを踏まずしては奥に進めないため、脂で滑りやすい汚染床の上を、壁に手をついて身体を支えながら慎重に歩行。

「そういうことか・・・」
視線を上げると、キッチンと部屋を隔てるドアの上部金具に皮ベルトがシッカリと固定。
それは、そんなに高い位置ではなく・・・故人は、意図的に自らの体重を首に掛けたものと思われた。
床には、大量の腐敗物が広がり、おびただしい数のウジが徘徊。
その光景は、とても両親に見せられるものではなかった。

「なんで自殺なんかしちゃったんだろう・・・年齢的にも身分的にも、他に逃げ道をつくりやすかっただろうに・・・」
若年、しかも学生の身の上での自殺に、釈然としない疑問を感じた。
しかし、自分のその頃を思い出し、すぐに〝自分のことを棚に上げている〟ことに気づく私だった。
「本人にしか分からない事情があったんだろうな・・・」

自然死は〝早い・遅い〟を言われがちだけど、自殺には〝早い〟も〝遅い〟もない。
もちろん、人生の価値や生きる意義は、人生の長短で測れるものでもないと思うけど、自殺は全く別次元の問題。
若年だろうが老年だろうが、そうそう受け入れられるものではない。

一通りの現場観察を終えた私は、両親の待つ玄関前に戻った。
不安そうな女性と怒ったような顔付きの男性が、私を待ち構えていた。
父親は、息子が死んだ悲しみより、その理不尽さに強い憤りを持っているみたいで、不機嫌そうに憮然。
一方の母親は、悲しみと動揺でオロオロしっぱなし。
そんな二人の心境は、私にも痛いほど伝わってきた。

私は、鼻口に着けていたマスクを外し、中の状況を報告。

「一応、中を見てきましたけど・・・自殺・・・ですか?」
「・・・ええ・・・」
男性は、認めたくなさそうな表情で渋々頷いた。

「失礼を承知で率直に申し上げますけど、かなり悪い状況です」
「・・・」
「目に見えてるところもそうですが、流台の下や床下まで汚染されている可能性も大きいです」
「・・・」
「まずは、特殊清掃と消臭消毒をしないと、どうにもなりませんね」
「・・・何とかなりますか?」
「最終的には、全面リフォームになると思います」
「そうですか・・・」
そのやりとりの最中、男性は表情を強張らせ、女性は両手で顔を覆った。

私は、故人が残した遺品・貴重品類を探し取り出すため、再び部屋に入ることになった。
物理的にも精神的にも、夫妻が部屋に入るには酷過ぎる状態だったから。

「ちょっと行ってきますから、しばらく待ってて下さい」
私は、マスクを装着し直して再び部屋に入った。そして、遺品・貴重品類を探した。

1Rマンションの独り暮らしだから、家財・生活用品も大した量ではなく、だいたいの貴重品類は一つの小引出しにまとめられていた。
そこからは、財布・預金通帳・保険証・写真etcがでてきた。
更に、財布の中には現金の他に免許証・学生証・カード類。
また、別の引出しには、まとまった量の手紙があった。

「随分とたくさんの手紙があるなぁ」
手にとって見ると、差出人は両親、つまり玄関の向こうにいる二人だった。
都会で独り暮らしをしていた故人を案じてのことだろう、その手紙の数は、息子を想う親の気持ちを如実に表していた。

子供を育てるのを〝自己犠牲〟とする親はなかなかいないだろう。
ただ、そうは言っても、一人の人間を育てることは並大抵のことではない。
そこには、並々ならぬ汗と涙が伴ったはず。
そして、故人も、それに気づかないではなかっだろう。
なのに、それを超えて自死を選択した故人・・・私は、ザワつく感情を抑えながら、貴重品探しを続けた。

気温が高いわけでもないのに、そのうちに、額から汗が滲み出てきた。
次第に汗の量は増え、床に広がる元故人に向かって滴り落ち始めた。
また、汗は目に入りその塩分が涙を誘発。
目からは感情の伴わない涙が溢れでて床に広がる元故人に向かって滴り落ち始めた。

やりきれない悲哀と虚しさを感じながら、その汗と涙と両親の想いを重ね合わせ、亡くなった故人に何かを強く訴えたい衝動に駆られる私だった。

自分の命は自分だけのものではない。
母の胎に宿ることも、生まれ出ることも、育つことも、寿命を定めることも、全て自分で力でなしていることではないから。
その本性・本質として、人はもともと自分のためだけに生きるものではないような気がする。

自分の快楽を第一にしているから、ちょっとしたことに虚無感を感じる。
全ての基準を自分に置いているから、些細なことにつまずく。
自分のために生きようとするから、生きているのが辛くなる。

しかし、人は人のために生きなければならない時があると思う。
人は人として、誰かのために生きなければならないものだと思う。
そしてまた、人のためだったら生きられることもあると思う。

〝情けは人の為ならず、巡り巡って己が為なり〟
そんな人生に流れる涙と汗は、人生の苦悩をも洗い流してくれる。
それを信じて、明日も生きるしかない。

このページのTOPへ

お問い合わせ

WEBエッセイ「特殊清掃・戦う男たち」

特殊清掃 よくあるご質問

特殊清掃 取材・公演依頼

対応エリア

対応エリア
関東全域をメインに対応いたしております。
その他、全国も関連会社より対応いたします。