Home特殊清掃「戦う男たち」2008年分限界

特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2008年分

特殊清掃「戦う男たち」

限界

地球温暖化の影響か・・・
今年の梅雨には調子を狂わされている。
例年より早く梅雨入りしたかと思ったら空梅雨?を思わせるような日が続いたり、肌寒い日が続いたと思ったら急に猛暑が襲ってきたり・・・
そんな中で、暑さは日に日に増している。

やはり、私の仕事は、暑い時季は更に過酷さを増す。
伴って、体力の限界をヒシヒシと感じる。
一年一年、確実に歳をとっているのだから、体力が衰えていくのは仕方のないことだけど。
反面、仕事のハードさは変わらないので、そのギャップは広がる一方。
身体への負担は重くなるばかりだ。

毎年のようにこんな愚痴を吐いている私だが、愚痴だけで済んでいるうちはまだマシである。
身体が言うことをきかなくなる日がくることを思うと、頭が痛い。
一体、いつまでこの仕事が続けられるものやら・・・
世間一般が定年とする60や65まで続けられないことは明白。
と言いつつも、一体、いつまで続けらるものなのかは、自分でもわからない。
でも、その限界は、それほど遠くない将来であることは、自分の身体が教えてくれている。

某名横綱の言葉をかりて
「体力の限界!」
と言って潔く退いたところで、それじゃ食べていけない。
年金をもらえる歳にはまだまだだし、他にやれる仕事もないし。
将来のビジョンを持ちたい願望と持てない現実の間で、時折、溜め息。
考えても仕方のないことをクヨクヨ考えてしまう。
私の悪い癖だ。

将来が不安になると気分が暗くなる。
気分が暗くなると悪いことばかりが頭につく。
頭が悲観的になると体調までおかしくなってくる。

そのせいだろうか、このところ、いまいち体調が優れない。
腹上部の異物感・腹部の不快感・慢性的な睡眠不足感・全身の倦怠感etc・・・
たまに、例の胸痛も襲ってくるしし・・・

まぁ、それらは、仕事ができないくらいに重症ではないので、そのまま放置。
多分、一過性のものだろうから、そのうちに自然と回復してくると思っている。

しかし、気になることもある。
最近、色んな所で色んな人に「最近、痩せたでしょ?」と言われるのがちょっと気がかり。
ダイエットをしてるのだったら喜ぶべきところだが、実際、そんなことはしていない。
なのに、痩せてきているとなると、何となくマズい感じ。
普通に食べているのに痩せてきているなんて、ちょっと不気味だよね。

幸いなことに、そんな状態でも食欲はある。
だから、今は、意識してモリモリ食べるようにしている。
しばらくの間は、メタ坊と休戦協定を結んで共存共栄路線に転換だ。

「肝臓が悪いんじゃない?」
顔色を悪くしてしんどそうにしている私に管理人が一言。
「その可能性は充分あるな・・・」
過去にも肝臓を悪くした経験のある私は、心当たりがないわけじゃなかった。

〝酒が美味しく飲めるのは、身体が健康な証拠〟
と理屈をつけ、
〝体調が悪いときは酒が美味くない〟
ことを身を持って体験している私。
そして、今、実際に酒が美味くない。
そんなこんなで、しばらくの間は酒の量を控えることにした。
もちろん、飲まない日もつくりながら。
私の生涯酒蔵も、そろそろ限界にきているのだろうか。

何はともあれ、暑さも増してきて、冷えたビールが美味い季節になってきている今日この頃。
早いとこ体調を戻して、ゴクゴクといきたいものだ。

しかし、こうして、体調を崩してみると、普段では気づくことができないことに気づかされ、学ぶことができないことを学ばされることが多い。
感謝の気持ちや謙遜な気持ちが与えられる。
それまでの自分の限界を超えて、自分の中の何かが生まれ変わる。
そうして、新しい人生が開けてくる。
そう考えると、ケガや病気のすべてが悪いことばかりではない。

これもまた〝限界〟の一つか・・・
本ブログの文字数が頭打ちになってきた。
私の携帯では10000文字が限界。
それ以上は入力を拒絶される。
打つ親指も、それくらいが限界。
それ以上になると、脳のスピードに指ついていかなくなる。
そう言いながらも、文はダラダラと長くなるばかり。
薄い内容を文字数でごまかしている感も否めない(?)。
要点を絞って短くまとめりゃいいのかもしれないけど、それじゃ特掃隊長の死体臭さ・・・もとい、人間臭さがでない。

私は、アップされた状態のブログを読むことはほとんどない。
当り前の話だが、内容を熟知しているわけなので、あらためて読む必要がないのだ。
読むとしても、超ヒマなとき、一部を読み流すくらい。
管理人も、私がメールしたものをチェックも入れずにそのままアップ。
かつては、事前に一読していたようだが、いい加減に飽きてきたのか、今ではそれもなし。
だから、誤字脱字・改行ミスはもちろん、文章としておかしなところや足りたいところがあっても気づかず。
また、後になって気づいても、そのまま放置している。
後になって修正するのも変な感じがするし、そんなのも含まって本ブログなりの〝珍味〟が醸し出してされているものと思うから。

一般的に、ブログは寄せられたコメントに対して返事を書くらしい。
世の中に、どれくらいのブログがあって、その中のどのくらいの人がそうしているのかは定かではないけど、そうらしいのだ。
コメント欄を通じて、書き手と読者が双方向のコミュニケーションを図るのだという。

「有名人じゃあるまいし、返事ぐらい書きなよ」
これは、最近、個人でブログをやってる知人に言われたこと。
私のこのスタイルが〝偉そうなヤツ〟に映るらしい。
書き込みに返事を書かないことが、そんなに変なことだったとはつゆ知らず・・・
私の場合、もともとが薄っぺらい人間が、精一杯に背伸びして厚みをもたせているだけなので、不用意に返事でも書こうものなら、すぐにボロがでてしまいそう。
そうしてすぐに限界がきて、呆気なくこのスタイルに戻りそうなんで、そこには最初から手をつけないでおこうと思っている。

亡くなったのは70代半ばの男性。
痩せて変色した顔は年齢よりも老けて憔悴。
その晩年が壮絶であったことを物語っていた・・・

男性は癌を患っていた。
最初に癌が発見されたのは、亡くなる10年ほど前。
胃癌だった。
比較的早期の発見だったが、胃の三分の二を切除。
年齢も若くない上に精神的な落ち込みも激しく、早期の回復は難しいかと思われた。

退院後の生活は、それまでのものとはガラリと変わった。
最も変わったのは食生活。
徹底した菜食主義に変え、肉・魚など動物性の類は口にせず。
好きだった甘味も控えめに。
酒・タバコに至っては、全くやらなくなった。

食べることって、生きている楽しみ(幸せ)の大きな一つ。
相当に意志が強いか大きな引き換えがないと、その制限には耐えられるものではない。
しかし、男性は、〝命の代償〟と思って頑張った。
そして、その努力の甲斐あってか、身体は周囲が驚くほどに回復。
食生活以外は、以前の生活を取り戻すことができた。

しかし、その数年後、癌は再発。
肺を中心に、手術ができないくらい、あちこちに拡散していた。
治療は、入退院を繰り返しながらの抗癌剤と放射線。
しかし、進退の中で病状は少しずつ悪化。
そして、翌年には、とうとう余命宣告を受けることになってしまった。

一般的には、余命は短めに宣告する傾向が強いらしい。
宣告された期間を満たさずに亡くなってしまうのを予防するためだろうか。
男性の場合も、宣告された期間に亡くなることはなく、病状を悪化させながらもそれを越えて生き続けた。

その闘病生活は、本人はもちろん家族にとっても壮絶なものだった。
病気の進行と薬の副作用が重なって、その苦しみようは残酷な拷問を思わせるほど。
それでも、本人は生きることに強く執着。
それは〝生きる希望〟というより〝生きることへの執念〟のようであった。
その執念は凄まじく、身体が弱まろうが余命を宣告されようが、決して諦めることはなかった。

いよいよ最期の方。
本人と家族の苦しみを見かねた医師は、〝ホスピス療法or延命治療〟の選択肢を与えた。
実のところ、〝選択〟とは名ばかりで、医師も家族もホスピス療法に切り替えたかったのだ。
しかし、本人は頑としてそれを受けつけず。
最期の最期まで、生きることに固執した。

先に限界に達したのは、本人ではなく家族だった。
苦しむ本人を見るに耐えられなくなってきたのだ。
それでも、
「生きることを諦めてくれ」
「楽に死んだ方がいいんじゃない?」
なんて、とても言えるはずもなく・・・
結局、男性は、家族に別れの言葉を残すことなく苦しみ抜いて死んでいった。

「死にたくない・・・」
これは、かの名僧・一休の最期の言葉(一説)。
彼は、思想的にも人格的にも優れた人物だっただろう。
そしてまた、健康で長寿をまっとうしたとも伝えられている。
そんな彼でも、最期までそんな本性を捨てられなかったと思うと、ホッとするような切なさを覚える。

本来、人は、〝生きていたい〟〝死にたくない〟という本性をもっているものだと思う。
しかし、いくら〝死にたくない〟と思っていても、その時はいずれくる。
それがいつなのかわからないけど、それまではひたすら生きるのみ。
この命・この身体の限界がくるまで。

このページのTOPへ

お問い合わせ

WEBエッセイ「特殊清掃・戦う男たち」

特殊清掃 よくあるご質問

特殊清掃 取材・公演依頼

対応エリア

対応エリア
関東全域をメインに対応いたしております。
その他、全国も関連会社より対応いたします。