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特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2008年分

特殊清掃「戦う男たち」

ギャンブル

自然環境・政治腐敗・社会保障・少子高齢化・貧困層拡大・国力低下・教育etc・・・
社会が抱える問題・課題を挙げていったらキリがない。
ただ、感じるのは、この世の中が段々と生きにくくなっているということ。
気のせいであってほしいけど、目の前には、気のせいには思えない実情がある。

その一端を表すように、相変わらず殺伐とした事件や悲惨な事故が絶えない。
そんな毎日で、多くの人が悲惨な目に遭っている。
この日本・・・いや、この世界には、耳を疑い目を覆いたくなるような現実がある。
そしてまた、それに対してあまり心が動かない私がいる。
人のために、周りのために何かをしようなんて心が持てない私がいる。
もともとの性格が利己的で冷たいうえに、そういった類のことに悪い意味で慣れてしまって、〝他人事〟としてしか感じられなくなっているのかもしれない。

しかし、こんな私でも憤りを覚えることがある。
極めて残念ながら、毎年、この時期になると、決まって起こってしまうこと・・・夏場の車中に放置された乳幼児が熱中症で死亡する事故だ。
よくあるのは、親がパチンコに夢中になっていて起きるケース。
そんなニュースが耳に入ると、「またか!?」「いい加減にしてほしいよな!」と思う。
幼い子供が、サウナ状態の車中に置かれて蒸し殺される様を想像すると、身の毛もよだつ。
それも、子供が最も信頼を寄せ、愛情の源とする親の愚行が原因だなんて、可哀想で仕方がない。
もう、これは〝事故〟と言うより〝事件〟だ。

そもそも、パチンコってそんなに面白いものなのだろうか。
私の知人にも、パチンコ好きの人間がいるけど、その〝旨味〟は私にはわからない。
私も学生の時分、友人に付き合って何度かやったことはあるけど、つまらなすぎて仕方がなかった。
鼓膜が麻痺しそうなくらいの騒音に息苦しくなるくらいの煙・・・それだけで充分嫌悪に値するのに、下手をするとお金を巻き上げられてしまうときた。
どうしたって好めるものではない。

ちなみに、平日の午前、新装開店前の店でたむろし、通行人の邪魔になってようがお構いなしに地ベタに座り込んで、煙と唾と雑言を吐きながらトランプに興じている金髪の若者達を見て、悲哀に近い気の毒さを覚えるのは私だけだろうか。
彼らの人格や事情も知らないで、一方的に非難するようだけど・・・
他人のことをどうこう言える立場にないことを承知しつつも、〝彼等は、将来、格差社会のどこら辺に位置するのだろうか〟等と考えてしまう。
そして、そんな下世話な先入観と偏見が気分を暗くさせる。
同時に、10代後半~20代前半がもう手遅れなのか、それともまだ間に合うのか、深く考えさせられる。
とにもかくにも、人生は、賭けるものをちょっと間違っただけで、その先がとんでもないことになる可能性を秘めている・・・
ある意味で、恐いものなのである。

また、パチンコ好きの傾向として共通するのは、儲けた話(自慢話)をするのが大好きなところ。
こっちは興味がないものだから上の空で聞き流していても、当人はそれに構わず熱くなって話す。
話す側には自慢話でも、聞く側にとっては恥慢話。
余計な口をきくヒマがあったら、黙っておごってくれでもしたら、私の見方も変わる?のにね。

そんな私は、当然のごとくギャンブルはやらない。
学生の時分は競馬を少しやっていたけど、今は、たま~にジャンボ宝くじを買うくらいのもの。
人生そのものがギャンブルみたいになっちゃったんで。
その人生ギャンブルとは、今なお悪戦苦闘中。
そして、その行く末と勝敗は未だ見えてこない。

ある盛夏の夜、女性から電話が入った。
亡くなったのは女性の父親。
疎遠な関係でしばらく会っていなかったところ、突然、腐乱死体で発見。
女性にとっては、悲しみよりも驚きの方が強いみたいだった。
ただ、そこまでの話は私にとってよくあるケース。
しかし、その後の話が、私の野次馬が鞭を入れられるレアなケースだった。

亡くなっていた場所は、某所の河川敷。
故人は車上生活をしていたらしく、その中で死亡。
なかなかないケースに興味が湧いてきたこともあって、私は、女性の話にジックリ耳を傾けた。

かつては、故人は家族と生活を共にしていた。
故人の仕事は、建築工事関係の個人自営。
仕事ぶりは真面目だったものの、無類のギャンブル好き。
当初は小遣いの範囲で遊んでいたものが、収入が減るにつれて小さな借金を繰り返すように。
それでも、始めのうちは金額も小さく家族間の小競り合いで済んでいた。
それが、仕事の不振とともに次第にエスカレート。
故人のギャンブル癖・借金癖は変わらず、そのうち、家族とかなり険悪な関係になり、故人は家に居辛くなってきた。

そして、ある日のこと、故人は仕事に出掛けたまま行方不明・音信不通に。
それまでにも何度かプチ家出をしたことがあった故人に「そのうち、戻ってくるだろう」と、家族は少し心配しただけ。
警察に捜索願いをだすこともなく放っておいた。
そして、何の音沙汰もないまま時が流れた。

一報を入れてきたのは、河川敷を所轄する警察。
異様な雰囲気を漂わせている車を不審に思った近所の住民が、警察に通報。
駆けつけた警察がドアを開けてみると、車中で故人は腐乱。
遺体は生前の風貌をなくしていたが、故人が持っていた運転免許証と車検証が手掛かりとなり、遺族への連絡がいったのは発見当日。
知らせを受けた遺族は、驚きとともに警察署に急行。
霊安室で故人と対面・・・のはずが、損傷がヒドくて、直接は見ることができなかった。

違法放置車両を放っておくわけにもいかない警察は、車の撤去処分を遺族に指示。
家とは違い、車だったらそのまま廃車・解体すればいいだけのことと思われた。
しかし、そのままの状態では処理を担ってくれる人は誰もおらず、結局、私のところに回ってきたのだった。

一通りの話を聞いた私は、とりあえず現場に行くことに。
女性も家族も現場(車)を見ていなかったが、「見たくない」とのことで、私一人で見てくることになった。

その当日。
車の鍵は、所轄の警察署が保管。
私は、現場河川敷に行く前に、鍵を預かるため警察署に立ち寄った。
署員は、私の労苦が言わずと知れたみたいで、とても丁寧に応対してくれた。

現場は、見晴らしのいい広々とした河川敷。
目的の車以外にも同類らしき車が何台かとまっており、更に、橋の下にはいくつかのブルーシートテントが設営されていた。
その人口密度から、そこは比較的、居心地のいいところであることが伺えた。
と同時に、その光景に下流社会の近未来を見るようで、何とも複雑な思いがした。

「あの車だな・・・」
車は何台かあったけど、私は、目的の車をすぐに発見。
あらかじめ、車種と色を教わっていたせいもあったが、外観が〝いかにも!〟といった様相・・・窓には、黒いフィルムが貼られているのかと見紛うくらいのハエがたかり、どう見ても普通の車には見えなかったからだ。

「ちょっくら見てくるか・・・」
私は、遠くからくる人の好奇視線を感じながら、ゆっくりと車に接近。
そして、恐る恐る窓に顔を近づけた。

「なるほどね・・・」
故人が、そこで生活していたのは事実らしく、車中には雑多なモノが散乱。
ただ、無数のハエが視界を遮って、肝心の汚染痕をハッキリ見て取ることができなかった。

「こりゃ、ドアを開けてみないと、わかんないな」
私は、ポケットから鍵を取り出し、鍵穴に挿入。鍵が開いたことを確認して専用マスクと手袋を装着した。

「さよなら、ハエ君」
私は、ドアを最小限に開け、業務用殺虫剤のノズルを車内に挿入。
それから、〝これでも食らえ!〟と幼稚心を剥き出しにして目一杯噴射した。

「ちょっと待ちだな・・・」
私は、ハエが落ちるまでしばらく待機。
見渡す河川敷は広々として芝も青々。
晴天に涼風が吹き、その車がなければ気分も爽快になったはずだった。

「こういうことか・・・」
ドアを開けて中を見ると、生活用品や食べ物ゴミが大量に散乱。
そして、後部シートから足元にかけて、腐敗液がベットリ付着。
その様を見ると、普通の車屋が処理するわけがないことにも頷けた。

警察の見立てによると、死因は、自殺や事件性があるものではないもの。
身体衰弱による自然死とみられていた。
食べ物も満足に食べていなかったかもしれないし、それに上乗せしての猛暑。
そんな過酷な環境での車上生活は、著しく体力を消耗させたことだろう。
具合を悪くしても何らおかしくなく、今のように暑い季節だったので、熱中症だったのかもしれなかった。

場所が車であるだけで、基本的な作業は家の特掃とさして変わらず。
清掃は、家とは違う困難さが想定されたけど、私は、頭の中で段取りを組んでいった。

作業は、それから数日後に実施。
警察が一通りの探索をしたせいもあってか、車中にあるものはゴミ同然のものばかりで貴重品らしい貴重品は出てこず。
その他のモノで目についたのは、博打系の新聞・雑誌。
それらは、新しいものから古いものまで、結構な部数が溜められていた。
ただの道楽でやっていたのか一攫千金を狙ってやっていたのか、はたまた頭の中だけで楽しんでいたのかはわからなかったけど、それは、故人が車上生活をしながらもギャンブルから解放されていなかったことを物語っていた。

お金をもらう以上は、作業の内容と成果を確認してもらう必要がある。
しかし、依頼者は現場に来なかったため、それを証するもの・・・つまり、何かのときに代金回収を担保するものが必要となった。
私は、そのために、作業のBefore・After写真を撮っておいた。

結局、依頼者の女性とは、すべて電話だけのやりとりで済ませ、最初から最後まで顔を合わせることはなく、請け負った作業は全て完了。
また、遺族に返すものは何一つ残らなかった。
しかし、写真の存在を伝えると、遺族はAfterの写真を要望。
この車には、家族の思い出がギッシリ詰まっているらしく、写真だけでも手元に残しておきたいとのことだった。
その話に家族の温かさを覚えた私は、要望に応えて写真を送った。

人生の道程は、選択の繰り返し。
それは、時にギャンブルの性質を持つ。
一か八か、吉とでるか凶とでるか、勝つか負けるか・・・
思い出と借金を残して侘びしく逝った故人は、人生のギャンブルに敗れたのだろうか・・・それとも・・・
それを計れる者は誰もいない。
ただ、故人の過去と家族の想い出を優しく解す時間だけが、その答を知っているのである。

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