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特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2008年分

特殊清掃「戦う男たち」

星空

ある日の夕方。
その日、早く仕事を終えた私は、陽もまだ沈みきらないうちから仲間と共に居酒屋に繰り出した。
明るいうちから酒を飲むなんて、堕落した人間のように思われやすいけど、私にとっては年に何度も味わえない贅沢。
いつ鳴るかわからない携帯電話をテーブルの傍らに立て、とある居酒屋の席に腰を落ち着けた。
そして、手始めの生ビールを何杯か飲み進めていた。

そんな私のところへ、会社から一通のメール。
〝孤独死・腐乱現場の処理について問い合わせが入ったので、依頼者に連絡を入れよ〟との、無情な内容。
せっかくいい気分になりかけたところでのメールに私は憮然。
しかし、仕事は私にとって大切なもの。
そんな時間から酒を飲んでいる私に逆らう理由はなく、素直に指示に従うことに。
私は中座して、外から依頼者の携帯に電話をかけた。

電話には若い声の女性がでた。
若干のアルコールが回って柔らかくなっていた私とは対照的に、女性は緊張した様子で事情を話し始めた。

亡くなったのは女性の父親。
現場は街中の賃貸マンション。
発見したときは死後10日前後で腐乱。
警察の霊安室で変わり果てた故人を確認したが、あまりにもショッキングな態様に悲哀を通り越した恐怖感と嫌悪感に襲われたらしかった。

「ところで、亡くなっていた場所はどこですか?」
「場所?」
「えぇ・・・例えば、台所とかトイレとか風呂とか・・・」
「あー・・・お風呂らしいです・・・」
「お風呂・・・ですかぁ・・・」
「はぃ・・・」
「中はご覧になりました?」
「いえ・・・一歩も入ってません・・・てゆうか、マンションには行ってないんです」
「そうなんですかぁ・・・」
話題のせいか女性の温度が伝わってきたためか、私には、会話を進めるうちに自分のホロ酔いが冷めていってるのがハッキリわかった。

ケースはまちまちながら、基本的に、汚腐呂の始末は私の気分を藍色にする。
遺体があったのが浴槽の中なのか外なのか・・・
浴槽の中だった場合、湯(水)が溜まったままなのか抜かれているのか・・・
お湯(水)溜まっていた場合、保温機能がついているのかついていないのかetc・・・
この要因の組み合わされ方によっては、汚腐呂と言えどもライト級で済んでいることもある。
逆に、スーパーヘビー級になることもあるけど・・・

そんな事情もあって細かい情報を拾いたい私だったが、現場に行っていない女性がそこまでのことを把握している訳もなく。
そこら辺のことを警察から少しは聞いていないかとも思ったけど、やはり、女性はほとんど把握しておらず。
私の質問に応えられないことにストレスを感じさせたら申し訳ないので、あとの状況は現場で直接確認することにして質問を閉じた。

私は、女性の都合と自分の予定を調整して、翌日の夕方に現場に行く約束を交わした。
そして、仕事モードに切り替わってしまった頭を引きずって居酒屋の席に戻った。

しかし、翌日にレベル不明の汚腐呂が待っていると思うと、飲む気が急激にダウン。
気分が乗らず、ビールから切り替えた日本酒もほどほどにして、早めに解散。
酒宴の中断・仕事の労苦・生活の糧・一人の死・依頼者の悲哀・・・
複雑な心境を抱えた帰り道、気晴らしに見上げる夜空に星はなかった。
ただ、街の明かりをボンヤリと反射するばかりだった。

翌日の夕方。
約束の時刻よりも早く到着した私は、現場に間違いがないように建物に記されたマンション名を確認。
それから、入り口エントランスの集合ポストに故人名を探した。
見つけた部屋番のポストには名前はでていなかったけど、無造作にたまったDMやチラシ類が、暗に住人の不在を示していた。

その後、時間のあった私は部屋の前へ。
様子を観察しても、玄関まわりに特段の異常は見受けられず。
中に充満しているはずの異臭も、外までは漏れ出していなかった。

空のオレンジに青みがかかってきた頃、マンションに向かって歩いてくる女性が一人。
私の姿を見つけるとは小走りに近寄ってきた。
走ったせいで息が切れたのか緊張のせいか、女性は微妙に震える声で私に挨拶。
少しはリラックスしてもらえるかと思い、私は軽い笑顔でそれに応えた。

「早速ですが、部屋を見せていただけますか?」
「はい」
「玄関を開けてもらっていいですか?」
「はぃ・・・」
「一緒に中をご覧になりますか?」
「・・・」
「私一人で行ってきましょうか?」
「・・・」
「〝御遺体と同じように、見ない方がよかった〟ってことになったら取り返しがつきませんし・・・」
「はぃ・・・どうしようかなぁ・・・」
女性の頭には遺体の姿が蘇ったのか、顔には困惑の表情。
女性はしばらく迷い、結局、玄関前まで一緒に行って、そこで決めることに。
私は、部屋の鍵を持つ女性に先行して、狭い階段を上った。

女性は、ぎこちなく鍵を差しドアを引いた・・・
すると、いつもの腐乱臭がモァ~ッ。
私にとってのそれはライト級だったけど、女性にとってはスーパーヘビー級。
そのニオイが鼻だけでなく精神まで殴ったのだろうか、足をヨロつかせながら後退りし、その場に座り込んでしまった。

「やめといた方がよさそうですね」
「・・・」
「ドアも早く閉めた方がいいと思いますし・・・」
「・・・」
「私一人で行ってきますね」
「はぃ・・・お願いします・・・」
女性は力なく頷いて、私が一人で入ることを了承。
私は、そそくさと中に入り、異臭を放つ玄関を急いで閉めた。

「どこかな・・・」
はじめにまず、暗い部屋の電気をON。
問題の浴室は、台所の脇にあった。
私は、下の方に視線を落としながらその扉を開けた。

「?!」
扉を開けると、目の前には通常の浴室にはないものが一本。
それが、天井の方からブラ下がっていた。

「あ゛・・・」
よく見ると、それは革のベルト
それが何本かつなぎ合わされて、天井から垂れ下がっていた。

「そういうことかぁ・・・」
天井の点検口は本来の目的には使われず。
暗黒への入り口のように口を開けて、その奥に暗闇を備えていた。

前日の電話からその時まで、女性は、故人の死因にはまったく触れず。
ただ、目の前の状況は明らか。
私は、浴室の処理方より、女性への対応方を考えながら汚染具合を調べた。

「楽に済みそうだな」
汚染はライト級。
余計な虫も湧かず、天井・壁・浴槽は無事。
床面に赤茶色の汚れが付着しているだけだった。

「問題はコレだな」
私は、天井奥の暗闇から自分の方へ向かって伸びる革ベルトを注視。
そして、上から下から視線を往復。
それから、天井裏の鉄梁を凝視して、ベルトの取り付け具合を観察した。

「切った方が早そうだな」
この仕事のメインとなる作業は腐敗液の清掃ではなく、革ベルトの取り外し。
天井裏に上半身を突っ込む作業は、独特の寒気を感じるものであるが、私はそれを覚悟して玄関を出た。

「お待たせしました」
「いぇ・・・」
「浴室を見てきましたが・・・」
「はぃ・・・」
「汚染の程度は軽いものです・・・ただ・・・」
「ただ?」
「警察から聞いておられませんか?」
「???」
とぼけているのか、本当に知らないのか・・・
業務上で必要な情報でもなかったし、私が代われないものを女性に背負わせるわけにもいかなかったので、私は喉からでかかっていたものを飲み込んだ。

処理を急いでいた女性は、その場で作業を依頼。
精神力次第では短時間で済む作業に、私は、自分にプレッシャーをかけた。
そして、いつもの特掃用具に脚立とカッターナイフを加えて、再び浴室に入った。

天井からベルトが垂れたままじじゃ、床掃除もやりにくい。
何よりも、気が散って仕方がない。
私は、最初にそれを始末することにした。

汚染床にビニールシートを敷き、点検口の真下に脚立を設置。
そして、それをよじ登って、天井裏に上半身を突っ込んだ。
それから、おもむろにカッターナイフの刃をベルトに当てた。

革ベルトって、意外と固いもの。
切られることに抵抗するその固さが、自死を選択した故人の意思の固さを表しているようで、それが私の身体を強張らせた。

一通りの作業を完了させた私は、暗闇に包まれた外で待つ女性をエントランスに呼び寄せた。
そして、浴室を外観上は何もなかったかのように戻せたことを伝えた。

「自殺ではない!」
「精神的な病で死んだ〝病死〟なんだ!」
「そう思わないと、自分までおかしくなりそうだ」
別件の自死遺族に、そんな話をされたことがある。
身内が自殺した現実と、それを受け入れたくない感情。
それが、自分の中でぶつかり合い壮絶な葛藤が生まれる・・・
これは、よくあるの遺族感情の一つだと思う。
そして、本件の女性も、同じような悲哀を抱えていたのかもしれなかった。

私を信用してくれたのか浴室に対する恐怖感と嫌悪感が消せなかったのかわからなかったけど、結局、女性は浴室はおろか玄関から中に入ることはなかった。
そしてまた、故人の死因について口にすることもなかった。
ただ一言・・・
「ありがとうごさいました」
と、泣きたいのをこらえるようにして深々と頭を下げてくれた。

複雑な心境を抱えた帰り道、気晴らしに見上げる夜空に星はなかった。
しかし、暗闇の視力の向こうに輝く星があることは疑うまでもなかった。
そして、それを思い、時が来れば女性の空にも再び星が輝きだすことを確信した私だった。

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