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特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2008年分

特殊清掃「戦う男たち」

隙間風

「さむ・・・あの時はまだ暑かったのに・・・もう、そんな季節になったんだな・・・」
四方を無機質のコンクリートに囲まれた部屋で、私は思わず首を竦めた。
わずかに開いていた窓の隙間から、晩秋の寒風が吹き込んでいたのだった。

話は、二ヶ月ほど遡る・・・
残暑も和らいできた初秋の頃、とある賃貸マンションで一人の若者が自殺した。

「またかよぉ・・・」
その時、複数の自殺現場を抱えていた私は、その死因を聞いてもさして驚きもせず、それよりも少々ウンザリ気味。
本来なら非日常的なことが私にとっては日常的なことになっており、私の神経は、明らかに麻痺しつつあった。

「こりゃ、相当なことになってそうだな・・・」
玄関前の共有廊下には、例の悪臭がプンプン。
そこは、それぞれの玄関ドアが廊下の両側に並ぶ構造で、その通気性の悪さが悪臭の濃度を上げていた。

「これじゃ、我慢のしようがないな・・・」
自宅の玄関先がこれほどにニオってたんでは、同じ階の住人もたまったものではないはず。
不動産会社に多くの苦情が寄せられていることにも頷けた。

「うぇ・・・」
玄関を開けてミニキッチンを横切ると、目の前には衝撃の光景・・・
1Rのフローリングを埋め尽くすかのように、おびただしい量の腐敗粘土と腐敗液が拡散。
死亡推定日と目の前の甚大な汚染が私の頭ではリンクせず、現実を理解するのに数分の時間を要した。

「これか・・・」
腐敗液の紋様は、故人が部屋隅に置かれたステンレスラックに自身を委ねたことを示唆。
その下の腐敗粘土は、疲労感を覚えるくらいに盛り上がり、無数のウジが掬っていた。

元来、情報伝達に人を介すると、錯誤や誤解が生じやすい。
それが、一般の人が理解し難い腐乱死体現場の話となると尚更。
現場調査を終えた私は、その後の協議をスムーズに運ぶため、手間はかかってもそれぞれの人に直接話すことにした。

マンションのオーナーは、降りかかった災難に憤る余裕さえなくして消沈・・・
不動産管理会社の担当者は、何をどうしてよいものやら困惑・・・
遺族は、負わされる責任の大きさが見えず、不安に苛まれ・・・
そこには、三者が三様に抱える苦悩があり、故人に対して舌打ちしたくなるような感情が湧いてきた。

問題解決の突破口は、やはり特掃。
〝まずは早急な特掃が必要〟〝特掃をしないと何も進まない〟ということに。
その結果を受けて、私は、急いで作業の準備に取りかかった。

広大な汚染は、闘志の火をくすぶらせるほどの威力があり、作業手順を考える力をもねじ伏せてきた。
それでも、私は、玄関側から少しずつ腐敗汚物を除去。
両手をベタベタにし、両足をヌルヌル滑らせながら、少しずつ前進した。

一人でやる特掃は心細さもあるけど、普段はだせないパワーを発揮できる場でもある。
死んでいった人の後始末をしていると、自分が生きていること・生きようとしていることを認識させられる。
その勤しみは世の中の陰に位置し孤独なものではあるけど、剥き出しにされ生の本質が刺激されることによって、熱いものを感じさせてくれるのだ。

そんな格闘の末、腐敗汚物の除去清掃は完了。
しかし、特掃が終わったところで、問題はほんの一部が解決したに過ぎず・・・
作業の甲斐なく、それ以降、自殺腐乱死体に恐れをなしたマンションの住人は続々と退去していった。
しかし、オーナーにも不動産会社にも、出て行こうとする住人を引き留める術はなく、ただ成り行きに任せるしかなかった。

最終的に、その部屋の内装は全解体することに。
物理的な原状回復をするには、そこまで壊す必要もなかったのだが、それがオーナーの強い要望。
「腹立たしいうえに気持ちが悪いので、故人が使ってたモノは全て廃棄したい!」
「できることなら、マンションごと取り壊したいぐらいだ!」
と、故人に対する憤りと嫌悪を露わにした。

コンクリートの箱になった部屋には、故人が垂らした腐敗液が残留。
その赤黒いシミは、弱った人々に追い討ちをかけようとするかのごとく、悪臭を放ち続けていた。

「少なくとも一年間はそのまま放置して、ほとぼりが冷めるのを待つつもりです」
「それでも、地域の風評から逃れられる自信はありませんけど・・・」
「窓は少し開けておいて下さい・・・部屋にまだイヤなものが残ってるような気がしてならないので・・・」
オーナーは、そう言って苦悶の表情を浮かべた。
また、その空間が再び生きた人の温度を取り戻すことができるかどうか、私にも想像することはできなかった。
そして、私は、全ての窓にわずかな隙間を開け、一~二ヶ月後に残臭調査に来る旨を伝えて、部屋を後にしたのだった。

発展途上国や貧しい国・地域には、〝自らが命を絶つ〟・・・〝自殺〟の概念は薄いという。
それが事実だとすると、その理由に興味を覚える。
余裕のない生活環境で、生きることを何よりも大切にし、生きることに必死のあまり、自分で自分の命を絶つなんて余計な概念を持つ〝余裕〟がないのか・・・
それとも、自死を否定する価値観が浸透し、それを支える哲学・思想が人々の心に根付いているのか・・・

一方、豊かな我が国。
多くの人が、毎日至るところで自らの命を絶っている。
これは、前述の人達から見ると、摩訶不思議な現象に映るに違いない。

個々の要因はあるにせよ、何故にここまでのことになっているのだろうか。
この豊かさが、人の生存本能を麻痺させているのか・・・
力まなくても生きていける環境が、我がままな生きにくさを生み出しているのか・・・
生きることに対する中途半端な余裕が、心に隙間を生んでいるのか・・・

偏った豊かさの陰にある満たされない想い・・・
そんな心の隙間に、乾いた冷風が吹き込んでくる。
それを防ぐため、人は、心の隙間を埋めようともがく。
心の隙間を埋めることができそうなものを、次から次へと手当たり次第に求める。
しかし、真に心が満たされることはない・・・
そうして、生きることに疲れ、生きることを諦める。

自分の命は、自分のものか・・・
自分のものなら、落としたときにまた拾えるはず。
自分の努力で、命を延ばすこともできるはず。
しかし、できない。
・・・やはり、自分のものではないのだろう。

自殺は、自分のものではない命を殺すこと・・・人を殺すことと同じ、一種の殺人・・・嫌悪されて然るべきものである。
ならば、何故、人は人を殺してはいけないのだろうか。
この問いに、明確かつ的確に応えられる人は少ない。

「人は何のために生きるのか」
「人は何のために生きなければならないのか」
少なからずの人が、一度や二度はそんなことを考えたことがあるだろう。
しかし、人の命を殺してはいけないその訳を考えたことがある人は少ないのではないだろうか。
「命は大切!・・・だけど、その訳がわからない・その理由を知らない」
大方の人がそうではないだろうか。
そんな人々が屯する現代社会で自殺者が減らないのは、自然のなりゆきなのではないか・・・
また、命の本質を見失っているこの世の中が、自殺をくい止める理由を持てないのもまた然るべきことなのかもしれない。

それを裏付けるかのように、あっちに行っても、こっちに来ても、右を向いても左を見ても、目の前からなくなることがない。
それはまるで、土俵際に残る私の足をはらおうとするかのように、次から次ぎへと現れる。
そして、そんな現場に立つ度に、ウ○コ男は深い溜息をつく。
その溜息は、隙間だらけの心に吹き込み、弱い自身を震わせる。
そうして、一人一人の死を背負いながら、自分が求めている心の隙間を埋められるものの真偽を確かめるのである。

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