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特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2009年分

特殊清掃「戦う男たち」

一日一全

寒い!寒い!・・・12月・1月は、気候だけでなく懐までもが寒い。
特別な何かがある訳でもないのに、お金の減り方が速い。
「年末年始くらいは、ちょっと贅沢しようか」と、普段なら手を出さない美味しいものに手を出したツケが回ってきてるのだろう。
ま、墓に衣が着せられるわけでなし。
稼ぐだけじゃもったいない。
バランスよく使っていくことも大切だよね。

そんな厳しい冬にも、いいことはある。
〝死体が腐りにくい〟とか〝ウジ・ハエが涌きにくい〟とか、そういうこともあるけど、ここで言いたいのはそういうことじゃなくて、〝空気が澄んでいる〟とか〝空がきれい〟とか、そういうこと。
冬ならではの澄んだ風景に心が透き通って、それが心の靄をはらってくれるのだ。

仕事柄、私は毎日のように車を走らせている。
でも、単なる移動手段だけにするのはもったいないので、時間が押してない時はちょっとしたドライブ気分で運転する。
好きなCDやラジオを適当に聴いたり、回りの景色を楽しんだりしながら。
休みが少ない分、私は、そんな所で小刻みに気分転換を図る習性が身についているのだ。

仕事場が都県をまたがる私は、高速道路も頻繁に使う。
首都高をはじめ、首都圏の高速道は走りまくっている。
だから、頭には一通りの道路網が頭の中にインプットされており、高速道路だけならナビがなくても平気で走ることができる。

そんな高速道路。
場所によっては眺めのいいところがある。
特に、レインボーブリッジ・ベイブリッジ等の橋梁部はそう。
前後左右に、融合された自然美と人工美が広がる。

中で最も気に入っているのは、東京湾アクアライン。
川崎側は海底トンネル、木更津側は海上橋、それをひたすらまっすぐ(わずかなカーブはあるけど)に走るルート。
横風にあおられることも多いけど、目の前に広がる周辺の景色は爽快。
上には青い空、下には碧い海。
行き交う船や飛行機はオモチャのようにも見え、よくできたジオラマのよう。
とりわけ、木更津から川崎へ向かう橋から見える景色は絶景!
目の前には、グルッと360度の景色・・・房総半島から千葉・東京・川崎・横浜を経て三浦半島まで見渡せる。
更に、日によっては、富士山をはじめとして、関東平野を取り囲む山々まで見える。

途中にある〝海ほたる〟もまたお気に入りのスポット。
洋上に浮かぶ巨大客船のように、トンネルと橋をつなぐポイントにあるPAだ。
私は、少しでも時間に余裕があれば、「必ず」と言っていいほどここに立ち寄る。
車から降りる用が何もなくても立ち寄り、色んなことを考えながら広々とした上の空・下の海・遠くの地を眺める。

空・海・地とは不思議なもので、求めながら眺めていると何かが返ってくるのを感じる。
自分の中のマイナスをリセットしてくれる何かを感じる。
そして、勇気をだして生きる方へと、自分の背中が押されるような気がする。

その現場から見える景色もまた、絶景だった・・・
そこは、一等地に建つ高層マンション。
いわゆる〝億ション〟というヤツらしく、その佇まいは高級そのもの。
部外者の侵入を阻止するためのセキュリティーが万全で、下界に住む私は、なかなか中に入ることができなかった。

依頼者と携帯で話しながら、やっとのことで中へ。
二重のオートロックをくぐり抜けたエントランスは、どこかの高級ホテルを思わせるような落ち着かない雰囲気。
受付カウンターにはパリッとした身なりの女性コンシェルジュ。
自分の風貌が場に合わなかったからだろう、無許可で立ち入っている訳でもないのに、私は妙な居心地の悪さを感じた。

目的の部屋は上階の一室。
外光を遮る建物はなく、〝隣は空〟といった感。
「窓」というには大きすぎるガラス壁の眼下には、〝これがいつもの街?〟と疑いたくなるくらいのきれいな街並。
高所恐怖症の私は、〝住んでみたい〟とは思わなかったけど、それでも惹かれるものがあった。

故人は、フローリンク床に布団を敷いただけの寝室で孤独死。
発見は早かったため腐敗は軽かったものの、部屋中に異物(胃物)を嘔吐。
泥酔してたのか、それとも七転八倒したのか・・・それは、〝なんで?〟と思われるくらいの広範囲に拡散。
その異臭に酒臭とタバコ臭が加わって、せっかくのマンションにあって、この部屋だけは悲惨なことになっていた。

頼まれた仕事は、その部屋の掃除と消臭消毒。
乾いてこびりついた嘔吐物が頑固そうではあったが、特掃の難易度はライト級。
作業の段取りは考える程もなく簡単で、私は、部屋に閉じこもり黙々と作業を進行。
そんな私を、眺めのいい景色が後押ししてくれた。

依頼者は、中年の女性で故人の妹。
私の作業が終わるまで、リビングで待機。
作業が終わると、女性は私をリビングのソファーに座らせ、お茶とお菓子を出してくれた。

それにしても、私のような話下手にとって、〝オバさん〟という生き物は、相手にしていて楽である。
気の利いた話題を提供しなくても、大袈裟な相槌を打たなくても問題なし。
地蔵のように座り、時折、軽く頷くだけで勝手に喋ってくれて場の空気を煮詰まらせないでくれるから。

そんな女性。
「大変なお仕事ですねぇ」
と、労いの言葉に害のない好奇心を滲ませ、それを口火にに昔話を始めた。

故人は、若い頃に結婚と離婚を経験。
子供はおらず、以降は独り身の生活を謳歌。
仕事も安定し、収入は、一人暮らしには余るほど。
まさに、〝独身貴族〟〝悠々自適〟といった言葉がピッタリの暮らしぶり。
酒と煙草をこよなく愛し、良く言えば「太っ腹」「大らか」、悪く言えば「大雑把」「非堅実」。
若い頃から、宵越しの銭は持たない主義で、資産らしい資産も貯金らしい貯金もなく。
この高級マンションも、地場に土地を持っていた親からの相続財産がかたちを変えただけのものだった。

「クヨクヨと何かを悩んだりするようなタイプじゃなく、いつも笑ってるような人だったんですよ」
「人が好過ぎて身内をイライラさせることもありましたけど、人の悪口を言うこともなくて・・・ニコニコとお酒を飲んで、ニコニコと煙草をふかしている姿ばかりが思い出されますね」
「今思うと、兄は、きれいな生き方をしてましたよ・・・最期はちょっと汚しちゃいましたけど、長患いは兄らしくありませんから、これでよかったのかもしれません・・・」
遺影の中の故人と目の前の女性の顔には、悲しさも寂しさも覆い隠すような、温かい微笑みがあった。
それが、外の明かりと相まった光となって、故人に対する劣等感に暗くなりかけた私の奥底に射し込んできたのだった。

「俺は、一体、何を思い煩っているんだろう・・・一体、何に疲れているんだろう・・・」
私は、思い悩んだって何も解決しないことは分かっていながらも、漠然とした将来の不安に気落ちし疲労することがしばしばある。
過去を省みることより、今を必死に生きることより、将来の不安と疲ればかりが頭を占めて離れなくなる。
ヒドいときは、自己暗示も効かない。

この私は、明日を思い煩うことに、どれだけの時間とエネルギーを費やしているのか・・・
明日を思い煩うことによって、どれだけ今日を損じているのか・・・
しかし、それが現実の私。

焦る必要はない。
生き急ぐ必要もない。
決められた終わりに向かって一定に流れる時間の中で、目前にある今のことを全うすればいい。
一年も・一月も・一週間も続けなくてていい。
とにかく、今日一日だけは、今日一日に集中してみる。
そうすれば、悲観に冷やされた日々が熱を帯び、明日の心配が頭の隅に追いやられていく。
そして、何も見えてなかったはずの明日が見えてくる・・・イヤ、〝見えてくる〟のではなく、〝見えない不安がなくなる〟のかもしれない。

全うされた人生に与えられた死には、これからまだ生きなければならない人の思い煩いを消す力があるように思える。
そしてまた、先人の死は、後人に生きる知恵を与えてくれるものでもあると思う。
その前線に身を置く私は、先に死んだ人々に助けられて生きている・・・
そして、人として、助けてくれた人々に不義はできない。

「もっと生きねば・・・」
寒空の下、うつむき加減の自分に、そんなことを言い聞かせている冬である。

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