特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2006年分
特殊清掃「戦う男たち」
女心
女性は、「常にきれいでありたい」と思う生き物だろうと思う(男の偏見?)。
私は、遺体がどんなに年少でも高齢でも、原則として、女性遺体の服を着せ替えたりはしない。
私にとっては、ただの「死体」でも、遺族にとっては、それは愛する母・姉妹・娘だったりするのだ。
死体とはいえ、どこの馬の骨とも知れない男が女性の服を着せ替えることは、遺族にとってもあまり心地いいこととは思えないからである。
しかし、遺族も私もそんなことを言っていられない切迫した現場もある。
「敗血症」という病気がある。
調べたものを簡単に転記すると「連鎖球菌などの病原菌が体内の病巣から絶えず血中に送り出され全身的な感染を起した状態の重症感染症」とある。
私は医者でも科学者でもないので敗血症について直接的な理屈は吐けないのだが、専門家から学んだりして少しは知識も備えている(安全に仕事をするために必要)。
ある20代の女性が病死した。
私が現場に出向いたのは亡くなった翌日。
遺体はバンバンに膨れ上がり、体表には無数の水疱。
元の身体の2倍どころではなく3~4倍くらいに膨れ上がり、それぞれの水疱には黄色や橙色の体液が溜まり、皮が破れて体液が布団の外にまで染み出していた。
そして、その体液が悪臭を放っていた。
遺体の傍には母親一人が付き添っていた。
遺体の変容ぶりに母親は明らかに戸惑い困惑していた。
「昨日の夜は生きていたときと同じ姿で、まるで眠っているようだったのに・・・」と、やり場のない悲しみと憤りを誰にぶつけていいのか分からないまま何度も繰り返していた。
その気持ちはよく分かった。
普通だと数日かかるような変容(腐敗)がたった一夜で起こった訳だから、母親の気が動転しているのもうなずけた。
とにかく、その場は遺体処置を優先せざるを得ず、遺体を女性として尊重する余裕はなくなった。
もちろん、浴衣を脱がせる事などは母親にも了承してもらった上で作業。
このような遺体の数は少ないながらも、極めて珍しいと言う程でもないので、作業自体は大変ながらも経験域内の段取りで済んだ。
作業中も、母親は誰に話し掛ける訳でもなく、独り言のように同じセリフを繰り返していた。
そして、「見て下さい。こんなに可愛いらしい娘だったんですよ。」と故人が生前に元気だった頃の写真を持ってきて私に見せた。
確かに、母親の言う通り、そこには美人というか可愛らしい娘さんが写っていた。
しかし、現実に私達の目の前にある遺体は生前の面影も全くなくなり、見るに耐えない姿に変わってしまっていた。それも、たった一晩で。
母親には余命が分かっていた上での看病生活だったらしい。
したがって、娘の死を受け入れる準備は少しずつ整えていた。
看病しながらも、断腸の思いで娘の死を受け入れるだけの心構えはつくってきた。
だから、娘が逝ってからも比較的冷静にいることができた。
そして、想像していたのは娘の安らかな死顔と悲しくも平安な別れ。
母親にとって遺体の変容は全く予期していなかった現実。
そんな現実に対抗できるほどの心構えは微塵にもつくっていなかった。
遺体の変容は、母親に大きなショックを与えていた。
心構えが皆無だった分、そのショックは死よりも大きいものだったかもしれない。
娘との別れに二重に遭遇した感じで。
うまく表現できないけど、娘の死は母親に悲しみと同時に安らぎも与えたように思った。
しかし、その安らぎもつかの間、追い討ちをかけるように遺体が変容し、最期の最期まで母親を苦しめ悲しませる・・・。
残念ながら、誰にも遺体の姿を元通りにすることはできないのも現実。
普通は、遺体は柩に納まっても顔だけは見えるようにする。
しかし、この現場では顔も何も見えないように柩に納めた。
故人の気持ちを察するに、「醜くなった姿(故人や遺族には失礼な表現だが)を人前に曝されたくはないのではないか・・・」と考え、その提案に母親も同意した次第。
「女心」というものはそう言うものではないかと勝手に思った男(私)であった。
そして、何の助けにもならなかったかもしれないけど、私なりに思ったことを最後に母親に伝えて現場を引き揚げた。
「身体はあのようになっても、娘さんの魂は生前と同じように綺麗なままだと思いますよ」と。