特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2006年分
特殊清掃「戦う男たち」
ある日突然
自殺者数に比べれば少ないものの、交通事故で死ぬ人も決して少なくはない。
私の知り合いでも、過去に交通事故死した人が何人かいる。
交通事故死にも色々なドラマがある。
私が初めて遭遇した交通事故死は20歳前の女性だった。
まだ、死体業を始めて間もない頃で、見習として先輩スタッフに着いて回っていた頃だ。
何もかもが初めてのこと、雰囲気的に自分の居場所さえ自分で確保できないような有り様だったので細かいことはよく覚えていないが、遺族が号泣していたことと、成人式に着る予定だったという振袖の着物を着せていたことを憶えている。
そして、何故か、その女性の姓名も今も憶えてしまっている(別に憶えておきたくないのに、忘れることができない)。
そして、この仕事をしばらく続けていると、若くして事故死する人にはある共通点があることを偶然に発見してしまった。
ただし、それは自分が遭遇した事故遺体に100%当てはまっているものでもないし、自分で強い確信を持っている訳でもないので、あえてここでは取り上げないことにする。
もちろん、科学的根拠もないし、説明を求められても納得のいく回答もできないし。
多分、たまたまの偶然が重なっただけだろう(気になる?)。
若い男性が交通事故で死んだ。
シートベルトをしていなかったのだろう、頭からフロントガラスを突き破ったらしい。
私がその遺体を見たときは、頭が割れ、顔面はワインレッドに光っていた。
「ワインレッド」というのは無数の細かいキズと血。
「光っていた」というのは、ガラスの粉が顔全体に付着していたせいで顔全体がキラキラ光っていた状態ということ。
粉末のなったガラスは拭き取れるようなものではなく、皮膚もザラザラにキズついていた。そんな具合で、首から上はどうにも手がつけられなかった。
男性は相当のスピードのまま突っ込んだようで、ほぼ即死状態。
本人は、そう苦しまずに逝けたかもしれないが、残された家族は本人の何倍もの精神的な痛みに襲われたはず。
相手のいない自爆事故だったと言うことだけが、不幸中の幸いと言えようか。
顔の損傷が酷く、結局、7月13日掲載「女心」の故人と同様に柩に入れてからも顔が見えないように隠すしかなかった。
年配の女性が交通事故で死んだ。
道路を歩いているところを車に跳ねられたらしい。
歩道スペースがある道の曲がり角、スピードをだした車はコーナーを曲がるときに大きく外側に寄ってしまい、たまたま歩いていた女性を跳ね飛ばしたとのこと。
加害者は無傷、被害者(年配女性)は意識不明のまま数日後に亡くなった。
目立った外傷は後頭部のみ。
交通事故と聞かなければそれとは分からないくらいの遺体だった。
遺族は突然の悲しみに呆然としながらも、加害者への憤りを隠しきれないでいた。
尋ねもしない事故の話を、一方的に話すことによって少しでもウサを晴らそうとしているようにも見えた。
私は、作業をしながらそれを黙って聞いているしかなかった。
同時に、一瞬の事故が何人もの人生を狂わせてしまう恐怖を覚えた。
後頭部の傷跡とは裏腹に、顔は眠っているような安らかな表情を浮かべていた。
確かに、スピードをだして走るのは爽快だ。
社会的には追い越されっぱなしの自分が、道路でだけは他人を追い越すことができる。
自分の命と引き換えに、そんなささやかな優越感を楽しんで逝った人もいると思う。
交通事故の悲惨さを人並み以上に知っている私は、車に乗ってもむやみにスピードはださない(だせない)。
後ろから煽られてムッとなるときもあるけど、基本的には追い越されても割り込まれても気にしないことにしている。
ただ、残念なことに、いくら自分が気をつけていても相手にやられる可能性はなくならない。
車と車の間を蛇行運転で走り抜けていくバイク、猛スピードで追い越していく大型トラック、車間距離を詰めて前の車を煽っている車・・・「事故んなよぉ」と思うばかり。
交通事故は加害者になっても被害者になっても大損。
ケガをしてもケガをさせられても大損。
ましてや、他人の命を奪ったり自分が命を落としてしまったら取り返しがつかない。
一瞬のことで一生が狂ってしまうのが交通事故の怖さ。
まるで警察の回し者みたいなことを言うようだが、とにかくスピードの出し過ぎが事故のもと。少しでも心当たりのある方はくれぐれも注意されたし。
ちょっと余談。
「警察」で思い出したが、仕事中に車を運転していて警察に止められたことが今までに何度かある。
高速道路出口の一時停止無視、右折禁止交差点での右折、踏切での一時停止無視、携帯電話での通話など。
「人が死んだ!急いで行かなければならない!」と慌てながら言うと、警察官も驚いて「今回は特別に」と言って見逃してくれることが多い。
警察官でも人の子。「人が死んだ」と聞けば普段は動かない情も動くのだろう。
上記の四件は全て、それで見逃してもらった。
嘘によって逃れるのはよくないと思うけど、私は決して嘘はついていない。でしょ?
ある日突然、小学生の男児が交通事故に遭った。
横断歩道を渡る途中、脇見運転・信号無視の車に跳ねられた。
横断歩道から20~30mのところに生々しい血痕が残っていた。
数日間の昏睡状態の後、やっと意識が回復、家族と言葉を交わして間もなく息を引き取った。
身体は小柄ながらも足が速く、野球が上手な子だった。
絵を描くのも上手く、学校の勉強もよくできた子だった。
幼稚園のときからの幼馴染だった。
彼が逝ったのは20数年前のちょうど今頃、楽しい夏休みを前にした梅雨の季節だった。
「もし、彼が事故に遭わなければ・・・」
時々、幼くして逝った彼のことを想い出し、無邪気な笑顔で脳裏に戻ってくる面影を偲んでいる。