特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2006年分
特殊清掃「戦う男たち」
身を焦がして
夏の風物詩のひとつに土用の丑の日がある。
その日に鰻を食べる風習は、全国的なものだと思う。
先日も、スーパーの屋外で鰻を焼く煙が香ばしく、食欲をそそられた。
焼肉屋や焼鳥屋の前を通りかかっても、同じように香ばしいニオイがして、空腹時にはたまらなくいいニオイに感じるものである。
肉を焼くニオイって、どうしてこうも食欲をそそるのだろうか、不思議である。
野菜を焼いたって、こうまでは魅了されないのに。
焼身自殺で人が死んだ。
自殺体は珍しくない中でも、焼身自殺体は少ない。
「何とかなるものなら何とかしてほしい」と依頼され、とりあえず現場へ。
警察の検死が終わって、遺体は納体袋に入れられていた。
この納体袋というヤツは通常の遺体が納められることはほとんどなく、変死体専用の寝袋と言ってもいいほどの不気味な代物である。
したがって、何の説明を受けなくても、納体袋に入っているだけで中の遺体は損傷や腐敗が激しいことがすぐ分かる。
という訳で、納体袋を開けるときはいつも緊張する。
今回は焼身自殺。
「何とかしてほしい」と言うからには「何とかなる」程度のものと推測して、心の準備を整えていた。
しかし、納体袋を開けてビックリ!
損傷が激しく、とても何とかできるような状態ではなかった。
特に、顔・頭部の損傷(燃焼)が酷く、ほとんど部位が炭になって焼失していた。
目蓋・鼻・唇・耳など、燃えやすい部分は燃えてなくなり、大きな眼球と歯は剥き出し状態。
瞬時に、腐敗臭と焦げ臭いニオイが辺りに立ち込めた。
人間の身体も所詮はただの肉。
その焦げたニオイは、普段の街に漂う肉を焼くニオイに酷似していた。
※間違っても「食欲が湧いた」なんてことはないので、誤解のないように(笑)。
「こりゃヒドイなぁ」と思いながら、「依頼者(遺族)の真の要望はどこにあるのだろうか」と考えた。
その損傷の酷さに、遺族の誰も遺体を見ることができなかったよう。
少しでも遺族とコミュニケーションが図れればヒントが掴めるものが、この現場では遺族は立ち会わなかったために思慮を重ねるしかなかった。
しかし、いくら考えを巡らせたところで、遺体の損傷が軽くなる訳でもない。
結局、遺体にはほとんど手を着けることができないまま、隠すように柩に納めた。
遺族の真の要望を計り知れないまま。
焼身自殺はなかなか大胆な手法だと思う。
こと切れるまでの時間、かなり苦しいだろう。
そして、ひとつ間違えて火事にでもなったら、他人を巻き込んでしまう可能性も高い。
もし、そんな事にでもなってしまったら、本人の人生や命そのものを否定されるような結果を招いてしまうだろう。
そして、そんな自分勝手な行為は決して許されることはないと思う。
ただ、残念なことに本人にとっては、「そんなの知ったこっちゃない」のだろうけど。
ほとんどの人が、自分の身の回りも未来も見えなくなるから自殺する訳で、「自分勝手」なんて批判は虚しいばかりか。
ハードな仕事にはスタミナが必要、特に暑い夏は肉料理が恋しくなる。
焼肉・焼鳥、そして鰻の蒲焼etc。
高い人格を持った謙遜な人は言う。
「この世にマズイ食べ物なんかない」と。
私のような愚人は品性もなく、ひたすら舌に美味いものばかりを追い求め、感謝の気持ちなんて少しも持たずに「美味い」「マズイ」と批評しながら命を存えている。
人間に食われるために生まれてくる命がある。
人間に食われるために失われる命がある。
「舌に美味しいものには身体に害があるものが多いのは、何かの摂理が働いているのだろうか」と思うことがある。
人間は、他の命を著しく犠牲にしないと生きていけない動物である。
何を食べるかが問題ではなく、どう食べるかが問題。
平凡な毎日でも、粗食しか口に入れられなくても、当り前のようにモノが食べられる幸せを噛み締めて、「たまには心に美味しいものも食べないとな」と思いながら、街角の香ばしい煙の誘惑との戦いに身を焦がす今日この頃である。