特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2006年分
特殊清掃「戦う男たち」
苦々しい
ある若者が、あるマンションから飛び降り自殺をした。
高層階から3階天井のでっぱりに激突、その血しぶきと肉片は4階のベランダにまで飛び散っていた。
乾いた血痕と肉片は落とし難い。
しかも、汚染個所が高い壁だと作業もしづらい。
私は仕事だから仕方ないけど、何の関係もないのに、いきなり見ず知らずの人間の血肉で自宅が汚された方は、本当に気の毒だった。
こんな現場に遭遇すると、「汚すのはせめて自宅だけにして欲しいもんだな」と思ってしまう。死人を貶めるようなことを言ってしまうようだけど。
その遺体の損傷も激しかった。
例の納体袋に入っていたその遺体は、頭が割れ、脳がハミ出ていた。
ちょうど、焼けて膨らんで破れたパンのように。
髪は血のりでベッタリ、血生臭さがプ~ンと漂っていた。
私が自殺の理由を知るはずもない。
ただただ遺体を処置するのみ。
頭はどうすることもできず、脳ミソを頭にしまって包帯をきれいに巻くしかなかった。
飛び降り遺体の場合は、このパターンの処置法が多い。やむを得ない。
遺族は号泣。それは悔し泣きにも聞こえるものだった。
そんな中、遺族の男性がいきなり遺体を殴りつけた。
「バカタレが!こんなヤツはこうしてやればいいんだ!」と怒りの鉄拳を食らわせたのだ。
あまりにとっさのことで、間に入って止めることもできなかった。
二発目を繰り出そうとしたときはさすがに私も止めに入ったが、その怒り様は私も殴られるかと思ったほど。
しかし、遺族の誰も止めに入らない。
故人の自殺と損傷激しい身体にショックが大きかったのだろうか、それとも男性の殴りたい気持ちを理解していたのだろうか、私だけが男性を止めていた。
「俺の遺体に手をだすな!」じゃないけど、せっかく処置してきれいになったものが、再び出血などで汚れてしまってはもともこうもない。
またまた冷酷かもしれないけど、男性を止めた理由が故人の尊厳を守るためではなくて、自分の職務を守るためであったことが自分らしくて苦々しかった。
ある中年男性が亡くなった。
妻はやたらと明るく元気そうに見えた。
余程の強い精神力を持っているのか、または、故人に心配をかけたくない一心で、とにかく気丈に振舞っていたのか・・・真実は分からないけど、とにかく明るくてよく喋る女性(妻)に、意味もなく辛気臭くすることが嫌いな私ですら違和感を覚えた。
その女性は何年か前に息子を亡くしていた。
そして今回は夫を亡くして一人ぼっちになってしまった女性。
「何年か前に一人息子を亡くして、今回また夫に先立たれた訳か・・・さぞや寂しいだろうなぁ」と思う間もなく、女性の明るい声が耳に飛び込んでくる。
「人が死んだからと言っても、わざわざ暗くなることはない」と思いながらも、そのギャップが奇妙に思えた。
故人には一張羅のスーツを着せた。
そして、訊きもしないのに、女性は勝手に話しを続けていた。
故人を柩に納めたら、「忘れ物!」と女性が叫んだ。
どうも、柩に入れたい副葬品があるらしい。
「ちょっと待って下さい」と、それを探しに部屋から出て行き、しばらくの時間が経った
「大事な物なのだろうから、ゆっくり待っていてあげよう」と思い、しばらく畳の上に座っていた。
「大事な物だとしたら、何だろう」
退屈しのぎに勝手な想像を膨らませながら待っていた。
しかし、「ないなぁ、おかしいなぁ」という声ばかりが聞こえて、一向に女性が戻ってくる様子がない。
畳に正座していた私はだんだんと足が痺れてきて、我慢できなくなった。
痺れをとるために立ち上がったついでに、女性のいる部屋へ声を掛けてみた。
女性は、いくら探しても目当ての物が見つからない様子。
長時間かかったけど、結局、目当ての品は見つからなかった。
「ところで、その物は一体何なんですか?」と私。
「息子が死んだときに柩にスーツとワイシャツを入れてやったんですけど、肝心のネクタイとベルトを入れてやるのを忘れてしまいまして、せっかくだからお父さん(故人)に持って行ってもらおうと思いましてね」と女性。
夫の死を「せっかくの機会」と捉えるとは、なかなかタフな女性である。
「そのネクタイとベルトはどんなデザインなんですか?」
無駄な質問かとも思ったが、世間話として訊いてみた。
意外なことに、女性が応えたデザインに心当たりがあった。
少し前に故人の身につけたそれと同じだった。
「あのー、これじゃないですか?」と遠慮がちに故人の身体を指した。
「これ!これ!これ!お父さん、○○(亡き息子の名前)のを勝手に着けちゃダメじゃないのぉ!」と嬉しそうに故人にツッコミを入れる女性だった。
私は微笑ましく思うべきなのか、コケていいものなのか迷った。
とにかく、一緒に苦笑いするしかなかった。
今となっては、女性の明るさの訳は知る由もない。
「金は人を変える・・・元気の源が多額の生命保険金でなければいいな」と思ってしまう金銭至上主義的思考が自分らしくて苦々しかった。