特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2006年分
特殊清掃「戦う男たち」
ホスピタル
この仕事は、夜中に電話が鳴ることもある。
寝ていても、まるでずっと起きていたかのように電話に出ることができる特技が身についた。
一年を通じても夜中の出動は少ないのだが、何故だか続くときは続いてしまう。
昼間は昼間で仕事があり寝ていられる訳じゃないので、あまり続くとキツイ!
そんな日々が続く中で夜中に電話が鳴ると「冗談?」と思ってしまう。
正直なところ、ありがた迷惑に思ってしまう時もある。
遺体搬送業務の服装は、特掃業務とは違ってスーツ姿(喪服ではない)。
したがって、身だしなみを整えるのに少々の時間を要する。
しかし、病院へのお迎えは一分一秒を争うことが多いので、モタモタしてはいられない。
「だったら、スーツを着たまま寝てりゃいいだろ」と思わないでもらいたい。
それじゃ眠れないから。
電話を切ったらテキパキと身支度を整えて出発する。
同じ建物なのに、夜中の病院は昼間の様相とは異なる。
抽象的な表現になるけど、昼間は生を感じさせ夜は死を感じさせる。
もちろん、病院から死人が出るのは夜に限ったことではないが。
シーンと静まり返る夜中の病院には、人の死を感じさせる独特の雰囲気がある。
大きな病院だと夜勤の医師・看護士、警備員の姿があり、適当に明かりもあるので緊張することも少ないが、小さな病院だと人の気配もなく、非常灯が緑色に光っているだけなので妙な緊張感がある。
インターフォンを押しても誰も出て来ないところは、人を探して回らなければならない。
そんな時は、入院患者に迷惑を掛けないよう、できるだけ物音を立てないように歩く。
もちろん、「こんばんはー!」等と大きな声もだせない。
自分の靴の音ばかりが響く中で、とにかく人を探す。
そんな小さな病院には、キチンとした霊安室がないことがある。
または、亡くなって間もないので、わざわざ霊安室に移動しないで病室から直接搬出することがある。
個室ならまだしも、相部屋だと何となく気まずい思いをする。悪いことをしに行って訳でもないのに。
死人がいないところには出てこない私、死人がいるところにだけ出てくる私は、これから病気を治して元気になろうという人(他の患者)にとっては死神みたいなものかもしれない。もしくは、縁起でもない奴?招かざる客?
したがって、作業はできるだけ短時間にシンプルに済ませるように心掛ける。遺族の心情に配慮することとのバランスを図りながら。
遺体は、ある中年男性。
体格のいい身体には濃い黄疸がでていた。
医学に素人の私は、「黄疸=肝臓病etc」→「肝臓病=肝癌・肝硬変・肝炎etc」→「肝炎=ウィルス性肝炎etc」と判断することにしている。
玄人から見ると非科学的かもしれないけど、私の場合、遺体衛生は悪い方に考えて備えるようにしている。その方が自分のリスクは低減できるから。
したがって、この黄疸男性を触るときも手袋を着用した。
外見や死因、感染の危険度に関わらず、私はどんな遺体でも最初に素手で触ることはない。
つまり、最初に触るときは、どの遺体でも手袋を着用するということ。
やりにくいのは、看護士も遺族も手袋を着用していない時。
遺体のことは看護士や遺族がよく知っているだろうから、私だけ手袋を着ける必要もないのだろうが、そこは一線引いているドライな私。
ただ、遺族の心象を害さないために、使う手袋と態度にもそれなりの工夫をしている。
この黄疸遺体の場合は、看護士も遺族も素手だった。
ただ、看護士は遺体に指一本触れることはなかった。
どこの病院にも共通して、私は遺体に対する看護士の態度や行動にはかなり注意している。
やはり、遺族や看護士が近寄らない遺体は不気味。
ちょっと注釈。
おおむね40代以上の人達はC型肝炎ウィルスに感染していてもおかしくないらしく、関係機関では検査を奨励しているそう。
40代以上というのは、学校の各種予防接種で注射針を使いまわしていた世代である。
雑学教養レベルであっても、死体業にはある程度の医学的知識が必要という訳。
精神性と根性だけじゃ務まらない。
夜中に死体とドライブしていても、特に恐怖心はない。
時には、死体を積んでいることを忘れて、コンビニに寄りそうになることもある。
そんな私でも、ひとつ注意していることがある。
ルームミラーは見えないようにしているのである。
死体がある後部荷台に妙なモノが映ったら、ちょっとヤバイかもしれないので。