特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2006年分
特殊清掃「戦う男たち」
思いやり
特掃業務の自殺現場には、事前に自殺と知らされる現場と知らされない現場とがある。
どんな現場に対しても一定のスタンスで臨む私だが、自殺と自然死とでは若干その気持ちが違うかもしれない。
しかし、どんな現場でも気持ちがほぼ一定に保てる自分が頼もしくも思え、かつ冷酷にも思えてしまい複雑な心境がする。
また、私は現場の第一印象を率直にコメントすることが多い。
失礼な発言に聞こえるかもしれないけど、特掃現場ではだいだい「これはヒドイですねぇ」が第一声となる。
だって、本当にそうだから。
何年やっても何件やっても、「ヒドイなぁ」と腐乱現場に抱く感情は変わらない。
自殺と知らされないで出向いた現場。
新聞紙で覆われた汚染箇所がやけに狭いうえ、それに面した壁が縦長に汚れていた。
「妙な汚れ方だなぁ・・首吊りか?」と思いながら汚染箇所の真上を見上げた。
ロープを掛けたであろうフックや釘を探したがその類は見当たらなかった。
しかし、よく見ると柱に真新しい穴が何箇所かあった。
警察がそこまでやる訳ないから、遺族の誰かがこっそり釘を抜いたのだろう。
「首吊りはほぼ間違いないな」と内心で断定したものの、「それを遺族に問い正して何の意味があろうか」と自問自答。
遺族には隠しておきたい事情があるのだろうから、私も知らぬフリで仕事をするのみだった。
遺族は自殺がバレることを恐れているようにも見えた。
気持ちは分からないでもない。
ただでさえ世間から嫌悪される腐乱死体。
それでも、自殺と自然死では世間の冷ややかさが違う。
賃貸家屋の場合は家主・近隣住民に対する責任も変わってくる。
つまり、社会からの視線と社会への責任が変わってくると言うこと。
当然、バツの悪い自殺より自然死の方がまだマシと言うことになる。
「この柱の穴を大家は黙って見過ごすかなぁ」
作業を終えてからロープを吊っていたであろう釘の痕を見上げ、今後のことに思いを巡らせていたら、遺族が私に声を掛けてきた。
自殺を打ち明けるかどうするか迷っているみたいだった。
私の行動を見て、明らかに気付かれていることが分かったのだろう。
でも、話したくなければ話す必要はない。
私にそれを探る権利はないし、聞く器量もない。
「お気づきだと思いますが・・・」と言いにくそうに話しはじめた遺族の言葉を私は遮った。
「内装リフォームもできますから、よかったら見積らせて下さい」と。
こんな時はビジネスライクなくらいが調度いい。
それが私流の、ささやかな思いやり。
「バッチリきれいにする自信はありますから、大家さんとだけはキチンと打ち合わせして下さいね」
暗に「大家は敵に回さない方がいい」と言いたかった私。
気持ちが通じたのか?遺族はかすかに微笑んだように見えた。
その後の内装リフォームが、きれいに仕上がったことは言うまでもない。
自殺だと知らされて出向いた現場。
部屋全体に汚染が広がり、それは凄惨な現場だった。
始めに手首を切ったが死にきれず、とどめに首を切ったらしい。
多分、首からは大量の血しぶきが吹き出したのだろう、床一面には腐敗液と腐敗脂が広がり、壁には血痕が飛び散っていた。
「随分と思い切った手段にでたもんだな」と思いながら汚染箇所の多さと広さに閉口、その汚染度は深刻なものだった。
遺族は、現場の凄惨さと精神的ダメージでダウン寸前、とても中には入れない様子。
双方が同時に現場確認をすることは、私が施工契約・施工責任を果たすうえで非常に重要なことなのだが、凄惨な腐乱現場を前にそれが叶わない遺族も少なくない。
この遺族もそうだった。
無理矢理にでも中を確認させでもしたら、失神していたかもしれない。
また、大家や近隣住民に対してもどう対処すればいいのか分からず、心も身体も衰弱しきっていた。
そして、深刻な面持ちで作業手順を考える私に、遺族が申し訳なさそうに謝った。
深刻な現場で深刻そうな顔をするのは好ましくはないのに、現場の酷さについつい本心を顔にだしてしまった私。
うかつだった。
遺族は、見積に合った金額を支払うとはいえ、身内のやったことの始末を、しかも見るもおぞましい現場の片付けを他人の私にやらせることに何かしらの後ろめたさを感じるのだろう。
他の現場でも同様の遺族が多い。
こんな遺族と接する私は、恐縮する前にとても気の毒に思う。
こんな時は少々笑って話すくらいが調度いい。
それが私流の、ささやかな思いやり。
「自殺でも自然死でも、腐乱していても私には関係ないですよ!私は死体屋ですから」
暗に「ドンマイ!ドンマイ!」と言いたかった私。
気持ちが通じたのか?遺族は、かすかに安堵の表情を浮かべたように見えた。
それ以降、内装リフォームを完成させるまでのしばらくの間、この遺族と関わりを持ち続けることになった。
抱えた問題を一つ一つ片付けていく度に、一日一日と時間が過ぎていく度に元気を取り戻していく遺族に、私も少しは役に立てたような気がして明るい気持ちになった。
「自殺した故人は、わずかでも残される人に思いやりを持ってほしかった」
「逆に、故人に対しての思いやりが足りていれば自殺なんかしなかったのかも」
凄惨な現場と悲壮な遺族を見る度に思うことである。