特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2006年分
特殊清掃「戦う男たち」
善と悪の間で
自殺した女性が腐乱死体で発見された。
もちろん、私には自殺の動機は不明。
独り暮しだった故人の自宅は賃貸マンション、その玄関で首を吊ったらしい。
身寄りはないらしく、賃貸契約の保証人も有料の保証会社が請け負っていた。
依頼者である大家は、保証会社の対応に不満を漏らしていた。
このままだと、大家と保証会社の間でトラブルが発生するのは明白だった。
汚染は玄関と外の共有部分のみ。
ウジ・ハエも玄関フロアのみ。
女性らしい雰囲気の部屋はきれいに片付いており、独身女性の部屋に免疫のない私は勝手に入ることに気が引けるくらいだった。
しかし、片付けるうちに故人が私と同年であること分かって、急に気持ち悪くなってきた。
我ながら勝手なものだ。
女性には失礼な偏見になるかもしれないけど、男性の自殺より女性の自殺の方が何だか気持ち悪い。
私が遭遇してきた自殺体・自殺現場は圧倒的に女性の方が少ないから免疫がないのだろうか。
それとも、世俗に伝わる怪談の影響だろうか、その理由は自分でもハッキリしない。
とにかく、女性の方、申し訳ない。
ちなみに、動物の場合は犬よりも猫の方が気持ち悪い。
玄関で首を吊るケースにはたまに遭遇する。
「なんで玄関で?」
故人が死に場所を玄関にした理由を考えた。
例によって全くの主観的想像だけど、三つの理由を思いついた。
一つ目は、できるだけ早く発見してもらうため。
二つ目は、部屋を汚さないため。
三つ目は、ドア上の金具が紐を吊るのに適していたため。
これが当たっていたとしたら、ちょっとせつない。
死んでからも醜態を晒したくない・・・腐乱死体にはなりたくなかったのか、それとも部屋を汚して大家に迷惑を掛けたくなかったのか。
もちろん、その真意を知ることはできなかったが、現場の様相から故人の何らかの考え(配慮)を感じた。
しかし、残念なことに故人は腐乱し一通り周囲を汚していた。
自分と年齢が同じであること、身寄りがいない孤独な身の上であること、きれいに片付いた部屋に人柄を感じたこと・・・それが私の気持ちを微妙に動かした。
明らかに、故人への同情心が働いたのが自分でも分かった。
故人も家主も保証会社も、事が大きくなるのは避けたいはず。
そして、現場がきれいなら無闇に事が大きくなるのを防ぐことができるはず。
と言うことは、事の大小は私の清掃作業の仕上がりにかかっていると言うこと。
私は偽善だろうが何だろうが、とにかく黙々と玄関を掃除した。
玄関ドアから流れ出た腐敗液も擦り洗った。
目に見えにくい人の脂と腐敗臭はそう簡単に除去できるものではない。
いつもだったら、時間の経過に任せるところを、この現場では人為的に行った。
通常だと一日仕事の作業を、二日がかりで念入りにやった。
我ながら、その仕上がりは満足のいくものだった。
現場確認に気がすすまなそうな大家を呼んで来て、半強制的に現場を見せた。
気味が悪過ぎて汚染現場を見ていない大家は、汚染の痕が見えない現場に少し驚いていた。
私は、家主から現場のBefore.Afterを写真に撮っておくように依頼されていた。
約束なので一応は撮影しておいたが、きれいになった現場を見た大家にはて写真の必要性がなくなってきていた。
私も「妙なものが写っていたらマズイですからねぇ」と意味深なことを言って、大家の判断を確定させた。
「ここの汚染は軽いものだった」「あとは通常の空室リフォームとハウスクリーニングで充分」
そう伝えた私は、要らなくなったカメラを捨てた。
私は常に偽善と悪を併せ持っている。
表立って他人から非難されることがない代わりに、自分が偽善者であることは自分が一番よく知っている。
仮に偽善者と罵られても、腹も立たないだろう。
自分にも充分その自覚があるから。
では、善悪の判断基準はどこにあるのだろうか。偽善と真善はどこで区切られるのだろうか。
善悪の知恵はどこから来ているのだろうか。
そんなことを昔から考えている。でも、今だに答はない。
私は、この故人に対して偽善的であったか。
私の行動はただの自己満足か。
それがジャッジできるのはアノ世の故人だけかもしれない。
足りない頭で難しいことを考えるのも限界がある。
人生とは、ひたすら善と悪の間で格闘しなきゃいけないものかもしれないね。
疲れたら、居酒屋にでも行って気分転換をしよう。
やっぱ、身体の外側には消毒用エタノール、内側には飲用アルコールが欠かせないね。