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特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2006年分

特殊清掃「戦う男たち」

ちょっと待った!

この記事を載せるか否か、迷いは残る。
無責任な思いであることも承知している。
薄っぺらい自論しか吐けない私には、他人の人生相談に乗れるほどの人格もなければ度量もない。
自分の人生に対する答も見つけられない私だし。
しかし、スルーできない性格の私は深く考えるのはやめて載せることにした。

世の中には、何故にここまで鬱の人や自殺を志願する人が多いのだろうか。
鬱病を明かす書き込み、自殺願望を示す書き込みが絶えない現実を見て、そう思う。
それでも、書き込んでくれるだけマシなのかもしれない。
私ごときでも、わずかながら反応できるから。

生命(寿命)に対しては誰だって無力。
自分の力で生命(寿命)を伸ばすことはできない。
人が自分の力でできることと言えば、せいぜい日常の健康管理をシッカリやっておくことくらい。
悲しいかな、人の力って所詮はそんなもの。
だったら、無闇やたらに力む必要もない。
社会性・経済力・年齢・名誉・世間体・人間関係・他人との比較etc、社会の基準に自分を合わせることに無理があるなら、社会の基準を捨てればいい(社会法規・道徳・モラルを捨てていいと言っている訳ではない)。

「天涯孤独・孤立無縁」「誰も心を打ち明けられる人はいない」と考えている人に限って、自分にとって意味のない社会基準に囚われているような感はないだろうか。
昔、「他人と比べるのではなく、過去の自分と比べろ」と叱責されたことがある。
これは私自身にも大きく言えることだけど、「自分は自分」なのだ。
社会の標準から外れていたって、他人に劣ることがたくさんあったって「自分は自分」。

「人は何のために生きるのか」と自分に問い、他人に訊いたことがある。
一部の宗教者や霊能者にはその答を持っている人がいるが、一般の人のほとんどは答を持たないまま生きているのではないだろうか。
かく言う私もその一人。

答が見つからないことをクヨクヨ考えて、何かいいことがある?
誰も答を知ることができないことを悶々と考えて、何か収穫がある?
それは生きるエネルギーを無駄に浪費することになりはしないだろうか。

こんなことを書きながら、かつての自分を思い起こす。
私も、かつて「死にたい」と思ったことがある。
そして今も、生きていることに疑問を持つことがある。

鬱状態・自殺願望を持った状態の人は、救いの手を握り返す力もない。
鬱状態に陥ると、人がどんなに優しく励ましてくれても、どんなにプラス思考を促されても、気持ちに響いてくることはない。
それは逆に、劣等感を感じたり、虚無感を助長させたり、余計なプレッシャーを与えることになる。
自殺願望を持つと、生存欲を持つ人とは明らかな温度差を感じる。
当時の私も、マイナス思考を捨ててプラス思考を身につけたかったのに、それができなかった。精神科の薬も効かなかった。
マイナス思考の人間をプラス思考の人間が救うことは至難の業。
その間を隔てる壁は高く、溝は深い。
その温度差は埋めることは容易ではない。
分かり合えると思っているのはプラス思考人間の一方的な感情だったりする。
それを承知の上での今日の記事。

自殺は悲惨なものだ。
自殺をする本人にとって悲惨なのではない。残された人にとって悲惨なのだ。
どんな事情があれ、本人は死にたくて(生きているのがイヤで)死ぬのだから、「悲惨」という言葉は似合わない。自分で選択した道だ。
生きているから悲惨な目にも合うわけで、生きていることの方がよっぽど悲惨だ。
でも、その悲惨さを残される人に全て背負わせていいのか。
しかも、何倍もの重荷にして。
残された人が以降どんな目に合うか、どんな人生を歩まされることになるか想像してみてほしい。

残された人のことを考える余裕がないことも少しは分かる。
自分が死んだ後のことなんか知ったことではないと思う気持ちも少しは分かる。
それでも私は、とにかく、残される人のことを考えてくれることを懇願する!

心当たりのある貴方!
一方的かもしれないけど、私は貴方のことを言っているのだ。

「死ぬのはやめた!」
そんな書き込みを待っている。

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