特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2006年分
特殊清掃「戦う男たち」
タイムリミット
日本人の死亡原因の一位は悪性新生物(癌)。
癌を煩ったことがある人、煩っている人、そして癌で亡くなった人を知人に持つ人はかなり多いと思う。
「自分自身がそう」という人もいるだろう。
数えてみると、私の身の回りにも、そんな人がたくさんいる。
世の中は今、空気も水も食べ物も、発癌性物質を避けては生活できないような残念な状況にある。
癌は人類の自業自得か?それとも宿命か?
人の力では癌細胞の発生を防ぐことはできないのだろうか。
私が扱ってきた遺体にも癌で死んだ人がかなりの人数いる。
科学的なデータとは異なるかもしれないが、それらの遺体は痩せ細っている上、腐敗速度が速いように思える。
余命宣告を受けた上での闘病生活は、どんなものなのだろうか。
一件一件の遺族と一人一人の遺体からは、それぞれの闘病生活が垣間見える。
故人は30代前半の男性。
痩せ細ったり髪か薄くなったりはしていなかった。
外見だけでは健康そうに見える故人で、遺族も泣いている人はいなかった。
遺族の話から読み取るに、本人と家族は色々な葛藤はありながらも余命宣告を受け入れ、病気と闘うのではなく協調する道を選んだらしい。
家族もかなり辛かったよう。
故人の死には涙することがなくても、辛かった余生(闘病生活)を振り返ると、おのずと涙がでてしまうようだった。
それだけで、その苦しかった日々とその心情が想像できた。
遺族の口からは、ただただ、病気の苦しみと死の恐怖と闘った故人を褒め労う言葉ばかりがでていた。
望まずして、死は本人と家族に平安をもたらす側面もある。
遺族は、心なしか、肩の重荷を降ろしたような穏やかな面持ちだった。
私は、何度か余命宣告を受ける悪夢にうなされたことがある。
死への恐怖から、突然跳び起きることがある。
そんな時は、決まってイヤな寝汗をかいている。
覚醒して夢だと分かり「助かった~」と喜びの感情が湧き上がってくる。
誰にとっても、余命宣告を受けるということはかなりの重圧がかかることだろう。
私の悪夢とは違い、今日もその現実と向かい合い、今日もその重荷を背負って生きている人が幾人もいる。
将来、私が癌になる可能性も低くはない。
そして、余命が測れるほどの末期症状に陥る可能性も充分ある。
私は、告知をしてほしいタイプの人間。
そうなったら多分、うろたえ、嘆き、泣き、極度の欝状態に陥るだろう。
それでも知らせてほしい。
この世を去るための後片付けをシッカリやりたいから。
苦楽を共にしたこの身体を労り、この感覚を充分に味わいたいから。
普段は「もっと背が欲しい」「もっと痩せたい」「男前の顔がよかった」等と自分の身体に不平不満・文句ばかりつけているけど、いざこの身体と別れなければならないとなると、とてつもなく愛おしい思いと懐かしい思いが湧き上がってきそうである。
軽率かもしれないけど、たまにはそんな境遇を空想してみて、自分の身体に感謝して、自分の身体を労ってみるといいかもしれない。
我々は皆、ある種の余命宣告を受けている身だ。
最期の時を具体的に知らされていないだけで。
最期の時は自分でも決められないもの。
自分の余命を意識して、残された時間をいかに燃焼させるか。
忘れてはならないのは、自分と愛する者のタイムリミット。
分かっちゃいるけど、ここが難しい。