特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2006年分
特殊清掃「戦う男たち」
世のため人のため?
「人の不幸につけ込んで金儲けをしているような気がする」
昔、後輩スタッフからこう相談されたことがある。
「警察だって、消防だって、医者だって、宗教家だってタダで働いている訳じゃない」
「何でも無償でやることが正しいことか?」
「死体業に先入観を持つのは世間に任せておけばいい」
と、私は彼の悩みを掃いのけた。
「この仕事って、値段があってないようなものでしょ」
ある依頼者から皮肉られたことがある。
「どんな商品やサービスの価格も、コスト+利益で構成されていることに変わりはないですよ」
「○○さん(依頼者の名前)の仕事は利益を取らないでやっているのですか?」
「申し訳ありませんが、ボランティアでやってる訳ではありませんので」
と、私は依頼者の皮肉を一蹴した。
私の仕事は人の死に直接関わるものなので、それを知った人からは良くも悪くも一目置かれる。
私は、死体に群がるハイエナ、いやハエ?・・・ウジかも?
世間からそう見られても仕方がない面があるし、自分の中にも葛藤がないわけじゃない。
仕事に疲れを覚えたりストレスを感じることは誰だってあると思う。
そして、あまりに疲れたりストレスを抱えたりすると、何のために仕事をしているのかが分からなくなることがある。
生きるために仕事をしているのではなく、仕事をするために生きているような日が続くと、気分も滅入ってくる。
そんな時は私も「何のために仕事をやっているのだろう」と思うことがある。
世のため人のため?
とんでもない!
そんな考えは微塵もない!
私は、金のため自分のために仕事をしている。
生きるために仕事をしている。
「仕事のやりがい」「仕事による自己研鑽」「仕事を通じての社会貢献」なんて二次的・三次的なオマケみたいなもの。
まずは、自分が生きるためだ。
「世のため人のため」なんて、たまには格好をつけてみたいけど、とてもそんな大ウソはつけない。
好意でやる+αの作業も所詮は仕事の範疇。
ビジネスとして成り立たなくなるまでは踏み込まない打算がある。
正直なところ、依頼者に満足してもらい、喜んでもらうことは一次的な目的ではない。
大きな成果・やり甲斐ではあるが結果でしかない。
無償・有償にこだわらず世のため人のために仕事ができる人、または、そういう心構えで仕事をしている人は立派だと思う。
そういうことが苦もなくできる人が羨ましい。
「そんな人間になれたらいいな」と思っても、結局は、自分が一番かわいいし自分が一番大事。
そして、楽をしたい。
私は、どうしても、元々の自分を捨てる(変える)ことができない。
自分のためだから耐えられる。
自分のためだから頑張れる。
好意の作業も善意の仕事も、回り回って結局は自分のためにやっていること。
決して、世のため人のためじゃない。
私は、そんなケチな男。
でも、生きているうちに一度くらいは人のために何かをしてみたい。
人のために何かができるような人間になってみたい。
偽善も打算もなく、純粋に。
せっかく人間に生まれて来たんだから。