特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2006年分
特殊清掃「戦う男たち」
夏の終わりに
暦はもう秋、朝晩は涼しさを感じるようになってきた(気持ちいい)。
今日から9月である。
毎年のことだが、夏は特掃業務が更に過酷になる季節。
現場も凄惨を極める。
そんな現場で汗と脂にまみれて働く。
腐敗液に自分の汗が滴り落ちるのを見ながら、神妙なことを考えたり、自分を励ましたり、くだらない事を考えたりする。。
やけに哲学的になってみたり、センチになってみたり、バカになってみたり。
どうしようもない時は外に出て小休止。
荒くなった呼吸と心臓の鼓動、脳ミソを落ち着ける。
そんな夏も終わろうとしている。
今年の夏もいい?思い出がたくさんできたが、リアルタイム過ぎて紹介できないのが残念。
私は、今までに何体もの死体に会ってきた。
何件もの腐乱現場に遭遇してきた。
病死・事故死・自殺・自然死etc・・・。
死に方にも色々ある中で、そんな私が今まで一体しか扱ってない遺体がある。
「何?」と思われるだろう。
「他殺体」である。
私が20代の頃だから、もうだいぶ前の話になる。
当時は大きなニュースになったので、ここでも詳しい表記は控えるが、故人(被害者)は20代前半の学生だった。
楽しい夏休みの最中、惨劇が襲った。
犯人の末路を見ても、とても「一件落着」とは思えない事件だった。
遺体には大きな解剖痕があった。
遺族の要望で、生前に袖を通すことがなかったお気に入りの服を着せた。
作業中、遺族が立ち会っていなかったことで、若輩の私は余計なプレッシャーを受けずに落ち着いて仕事ができた。
遺族に何と声を掛けていいのかも分からなかったし。
子供や若者には、いい意味で無責任に生きられる特権が与えられている(代わりに責任を背負っている人がいるのだが)。
比較的、自由に生きられる特権だ。
人を悲しませない範囲であれば、その特権を自由に行使していいと、私は思う。
そこに若年の輝きが見えるから。
故人も、一人の若者として学生生活を謳歌していたことだろう。
楽しい夏休みを最期に、人生の幕を閉じることになることなんか知る由もなく。
そして、9月1日の新学期を迎えることなく突然逝ってしまった。
「人生って、いつ何が起きるかホントに分からないものだ」
と、あらためて痛感した時だった。
そして故人に、何故か犯人にも深い同情心が湧いてきたのを憶えている。
いつ何が起こるのか分からないのが人生だけど、いつ何が起こっても素直に受け入れることができる器量が欲しい(無理かな)。
苦しいこと・辛いこと・悲しいことは有限、気持ちいいこと・楽しいこと・嬉しいことは夢幻の人生なのだから。
夏の終わり、9月の曇空を見上げながら、先に逝った人達に想いを馳せる。