特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2006年分
特殊清掃「戦う男たち」
真友(後編)
汚染部分の解体撤去から出た廃材を片付ける私に、依頼者の男性は意外なことを質問と依頼をしてきた。
「そのゴミはどうするのですか?」
「可燃ゴミですから、焼却処分します」
「もっと別な処分方法はありませんか?」
「?・・・リサイクルはできませんし・・・廃棄物ですからねぇ・・・」
「この廃材も、○○さん(故人の名前)の身体の一部のような気がして、ゴミとして捨てるのは偲びなくて・・・」
「んー・・・あとは、遺品の類でしたら、供養処分することがありますが・・・」
「そうですか!でしたら、その供養処分をお願いします」
「え!?費用が余分にかかりますよ」
「大丈夫ですから、供養して下さい」
故人の愛用品や人形・布団、仏壇などの供養処分を依頼されることは多いが、廃材のそれを頼まれるのは極めて珍しい。
さすがに不思議に思って、そこまでやる理由を尋ねてみた。
「○○さんは強く・厳しく、まるで姉のような人でした・・そして、誰よりも優しかった」
男性は抱える事情を話し始めた。
かつて、男性は自分で商売をしていた。
景気のいい時代もあり、その頃は仕事も遊びも充実し、他人にも気前よく楽しくやっていた。
交友関係も広く、親しい友人もたくさんおり、更に色んな人が男性と仲良くなろうと近づいて来た。
故人もその時代に知り合った一人だった。
ところが、ある時から不況の闇雲が立ちこめ始め、次第に商売にも陰りが見え始めた。
同時に、経済的にも精神的にも行き詰まっていった。
そして、それに合わせるように、今までいい顔ばかり見せていた友人達も離れていった。
肩書も金も失っていく男性のもとから、友達・仲間だと思っていた人々が去ったのだ。
「世間は冷たい」
「頼れる者は自分だけ」そんなことは商売を始めた時から肝に命じて、シビアにやってきたつもりだった。
しかし、現実の厳しさはその時の覚悟を越えていた。
自分がその境遇に置かれてみて、世間の本当の冷たさを知った。
みんな、自分個人(人格)ではなく、自分の持つ肩書(社会的地位)と金(経済力)になびいていたに過ぎなかったことを痛感。
それを知って愕然とした。
人間不信に陥った。
強い虚無感に襲われた。
先のことが考えられなくなり、自殺願望にも囚われた。
しかし、故人だけは違った。
何も変わることなく、損得を抜きにして、以前と同じように付き合ってくれた。
そればかりか、金銭的にも精神的にも随分と支えになってくれた。
結局、男性は取り返しがつかなくなる一歩手前で商売をたたんだ。
その決断には勇気が要った。
それも、故人が後押ししてくれなかったら決断できなかった。
あのまま商売を続けていたら、本当に首をくくることになっていたかもしれない。
男性は故人に返しきれない恩を感じていた。
借りた金も、全額は返しきっていないようだった。
そして何よりも、故人が腐乱死体になるまでその死に気づかなかった不義理を悔やんでいた。
せめてもの罪滅ぼし・恩返しのつもりで、この腐乱現場の片付けと故人の供養を担ったらしい。
いちいち息子を伴っている理由も、その辺にあった。
息子にも、自分の弱さ、故人の強さ、世間の冷たさ、真友の温かさを教えたかったようだった。
今は亡き故人は、死んだ後も男性に大切なものを与え続けていた。
親友をたくさん持つ人は多いだろうけど、はたして、その中に真友はどれだけいるだろうか。
今の肩書と金を失っても、変わらず付き合って(助けて)くれる友はどれだけいるだろうか。
また、相手の社会的地位や経済力が変わっても、何も変わることなく付き合える(助けられる)自分であるだろうか。
幸か不幸か、私は別の面で世間の冷たさを知っている(そう言う私も世間の一人)。
そして、今の私には肩書も金もない。
その分?友達・またはそれらしき人も少なく、極めて狭い人間関係の中で生きている。
みんなが自分を守ることに精一杯、戦々恐々としている世の中で、たいした人格を持たない私には、それが合っているのだろう。