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特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2006年分

特殊清掃「戦う男たち」

人間の価値

故人は老いた男性。
遺族とは遺体処置の業務で、一時間余り時間を共にした。

私が尋ねた訳でもないのに、遺族は息つく間もなく私に話し掛けてきた。
話の中身は故人の自慢話。
どうも、故人はそれなりの社会的地位だったらしい。
それが遺族にとっては自慢に思えて仕方がないようだった。

家柄・学歴から始まり、勤めていた企業、そこでの肩書、やってきた仕事などを誇らしげに喋っていた。
まるで、「故人は、この社会になくてはならない価値ある人」と言わんばかりの勢いだった。

ただ、私には、生前の故人を偲び、讃えて(労って)いるようには聞こえず、ただ優越感を楽しんでいるようにしか思えなかった。
だから、私には耳触りのいい話ではなかった。

私は、特に反応することもなく黙って聞き流していた。
しかし、遺族はそんな冷淡な態度に不満を覚えたのか、どんどんと自慢話をエスカレートさせてきた。

「何か反応しとかないと、この話は終わらなそうだな」
そう思った私は、態度を逆に変えることにした。
しらじらしいくらいに驚き、感心してみせたのだ。
更には、自分を低くして故人の生前とその家族(遺族)を讃えた。

すると、遺族はそれに満足したらしく話のトーンを落としていった。

私は腹の中で思った。
「生きているうちがどんなに偉かろうが、俺には関係ない」
「冷たくなってしまえば、偉人も凡人もだたの死体だ」
「人間の価値って、そういうことじゃないだろ?」
「じゃ、どういうことだ?・・・」

「人の命は地球より重い」
「人の命の価値に差はない」
子供の頃、道徳・倫理の授業などを通じて、教師からこんなことを教わったことがある。
漠然・抽象的な価値観だ。

いい歳の大人になった今、それを考えてみると、今までそれを体感・実感したことがないことに気づく。

「人の命より地球の方が重い」
「人の命の価値には個人差がある」
身の回りの現実を見渡せば、そんなことばかりだ。
大袈裟ではなく、人間一人一人が値札をつけられているように思えるくらいだ。

そんな世の中では、社会的地位と命の価値が比例してはいないだろうか。
・・・している。
内閣総理大臣と特掃隊長の命の価値は同じだろうか。
・・・とても、同じだとは思えない。
だったら、何故、何人の命も平等の価値だと言えるのだろうか。

私が経験してきた学校では、「命の価値は万民平等」と教えながらも、答案の正解は「命の価値には個人差がある」だった。
この現実をどう解釈していいのか分からず、教師に尋ねると、「へ理屈をこねるな!」と一蹴されるか、「ひねくれ者」とされて敬遠されるだけだったように思い出す。

一つの解釈方法として、命を、人間と魂(霊)に分けて考えたらどうか。
魂(霊)の価値は同じであっても、人間の価値は違うと考えればいいのかもしれない。
そう考えれば、なんとなく頭の中が整う。
ごまかしかな?

こんな私でも、自分を価値ある人間に見せたくて、格好をつけたり見栄を張ったりすることが多い。
社会の底辺を自認している私でさえ、「他人からよく見られたい」と言う気持ちが強いのだ。
残念ながら、材料不足(マイナス材料が多過ぎ)で自己満足にもならないことが多いけど。

そもそも、命の価値が分かっていない者(私)に、価値を上げる力・手段を持っているはずがない。
人間の価値を上げようとする悪あがきが、逆に人間の価値を下げているような気もする。

それでも、もがきあがく毎日から少しの光が見えてきた。
死体業15年目、30代後半になってやっとである。

「人間の価値は人が決められるものではない、人が決めてはいけない」

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