特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2006年分
特殊清掃「戦う男たち」
ありがとう
別れの言葉、故人(遺体)に声をかける遺族は多い。
それぞれの人がそれぞれの気持ちで言葉を発する。
生前は照れ臭くて言えなかった言葉もあるだろう。
嘘に対する真実の告白もあるだろう。
それがどんな言葉でも、最期の場面においてはその真実性・純粋性が澄んでいると感じる。
経験上の独断だが、遺族が遺体に掛ける言葉で多いと思われるものを挙げてみる。
「お疲れ様」
「ごめんね」
「さようなら」
「天国に行ってね」
「ありがとう」etc
先に死んでいった人への想いは、これらの言葉に凝縮されているものと思う。
そして、これらの言葉の中でも、「ありがとう」が断トツで多いように思う。
「ありがとう」
人によって、この言葉が意味するところに若干の温度差があるかもしれないが、とりあえずは感謝の気持ちがベースのはず。
故人に対しては最終的には感謝の気持ちが残ることが多いのだろう。
では、この世に生きているうちはどうだろう。
我が身を振り返ってみると、人に対して感謝の気持ちを携えて生活しているとは言い難い。
それどころか、不平・不満・不安ばかり。
不平・不満・不安は人に対してだけでは収まらない。
生活・境遇・過去・未来etc、自分を取り巻くほとんどのことに入り込んでいる。
だから、普段の生活において、口から出るのは感謝の言葉より不平・不満・不安の言葉の方が多い。
仮に、一日のうちで自分が発した言葉を数えてみるといいかもしれない。
上記したような言葉と愚痴・悪口、どっちが多いだろうか。
私の場合は、欲望ばかりが自分を支配して、感謝の気持ちはほとんど持てないでいる。
特に、金銭欲と名誉欲が旺盛だ。
いつも「金が欲しい」「人からよく見られたい」と思っている。
「金があったら、やりたいことができる」「欲しいものが買える」
「人から評価されたら、どんなに気分がいいだろう」「上を向いて生きていける」
そして、その全く逆である現実が、感謝の気持ちを打ち砕くのだ。
では、私の人生は感謝に値しないことばかりなのだろうか。
イヤ、そんなことはない。決してない。
苦しいことも、悲しいことも、辛いこともたくさんあったけど、感謝(すべき)に値することの方が圧倒的に多かった。
多分、未来もそうだろう。
私には、元気に動かせる身体がある。
雨風がしのげる家もある。
毎日の食事もある。
こんな仕事でも、生きる糧として与えられている。
身近なところから一つ一つ思い返してみると、感謝の対象は際限なくある。
贅沢・華美な暮らしではないけど、感謝すべきことはたくさんある。
最期に言いたくなる言葉(ありがとう)が予め分かっているのなら、時間がある今のうちからどんどん使った方がいいね。
これからの人生に、「ありがとう」を連発する生き方を期待したい。
どんな人生だって、過ぎてみれは夢幻の想い出。
最期は感謝。
今日もこのブログを読んでくれている戦友に「ありがとう」。
そして、今日も生かされていることに「ありがとう」。