特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2006年分
特殊清掃「戦う男たち」
宝探しⅡ
5月から書き始めた本ブログ。
半年余が経ち、結構な量になった。
同時に、書いたことと書いていないことの記憶が薄くなってきた。
まだ書いていないことを書いたものと勘違いしたり、またその逆もでてきそう。
その辺のボケは寛容に受け止めてもらえると、ありがたい。
その昔、私が、モノを捨てられない子供だったことは、以前のブログにも書いたかと思う。
親にとってはゴミ同然に思えるようなモノであっても、子供にとっては宝物みたいに大事なモノってある。
私があまりに妙なモノ(玩具の類)を溜め込んでいたものだから、親が勝手に整理して捨てたことがあった。
私は、悔しくて悲しくて、しかも腹が立って仕方がなく、泣き叫んだのを憶えている。
大事なモノって、人それぞれなんだよね。
特掃の仕事をする場は、死体現場であることが多いが、たまに不用品の片付けもやることもある。
「不用品の片付け」と言っても、特掃でやる現場は特別なもの、いわゆるゴミ屋敷が少なくない。
ちなみに、腐乱現場がゴミ屋敷になっていることもかなり多い。
ゴミ屋敷にも色々あり、ゴミの量やゴミの中身も千差万別。
床が隠れる程度の所もあれば、天井近くまでゴミが積み上げられているような所もある。
色々なゴミがゴチャ混ぜになっている所もあれば、新聞・雑誌や空缶など特定の物ばかりがやたらと多い所もある。
ある現場。
腐乱死体現場ではあったが、そんなことよりゴミ山の方がインパクトがあった。
汚染箇所もゴミに埋もれており、遺族も完全にお手上げ状態。
ゴミを片付けることはもちろんながら、貴重品を探し出すことも遺族の強い要望だった。
遺族の欲しがる貴重品とは、預金通帳・カード・印鑑・保険証券・年金手帳etc、金になりそうなものばかりだった。
しかも、小さくて探しにくそうなものばかり。
「考えていても仕方がないんで、とにかく、やるしかないですよねぇ」
私は、見つからなくても責任は持てないことを条件に作業に着手した。
まずは、玄関のゴミから袋詰めをスタート。
中腰姿勢の作業は、なかなかキツい作業だった。
「故人は、なんでここまでゴミを溜めてしまったんだろう」
そう思いながら、ひたすら手を動かした。
「なんとか探し出して下さい!」
遺族は切望していた。
「んー、なかなか見つかりませんねぇ」
期待に応えたいのは山々だったが、いつまでゴミを漁っても一向にでてこない。
それどころか、あまりのゴミの量に疲れてきた私は、探し物をする気力がなくなってきた。
かなりのゴミを片付けると、床に敷かれた汚腐団が姿を現してきた。
「でたなー」
私は、敵の大将でも見つけたかのように、テンションを上げた。
そして、染み付いた特掃本能がムクムクと頭をだし、肝心の探し物はそっちのけで汚腐団との格闘に入った。
汚腐団については過去ブログに頻出しているので、今回は詳細記載は省略するが、例によってこの汚腐団もかなりヤバイ代物だった。
敷布団を上げると何かがあった。
茶色い腐敗粘土がベットリ着いていたので、それが何かはすぐには分からなかった。
よく見るとカードが見え、更によく見ると預金通帳が見えた。
「大事なものを布団の下に隠しておくとは、なかなかの知恵者だな」
「しかも、汚腐団の下じゃ、俺以外は誰も盗めないし」
「抜群の防犯対策じゃん」
私は、何冊かの通帳と何枚かのカードを手にとって叫んだ。
「ありました!通帳とカードがありましたよ!」
「え!?ありました?」
遺族も嬉しそうに応えた。
私は、別室の遺族のもとへ行き、それを差し出した。
「やっと見つかりましたよ」
「え゛っ!?」
「通帳とカードです・・・」
「・・・」
絶句した遺族は、鼻と口を押さえながら眉をひそました。
モノを何と説明したら分かり易いだろう。
んー、表面がドロドロに溶けた板チョコに味噌をからめた感じ・・・かな。
(また食べ物に例えてしまって申し訳ない。)
そんなモノが、探し求めていた預金通帳・カードだと言われても困るのは分かる。
しかし、せっかく探し出したモノを捨てられるのは悲しい。
私は、チョコ通帳と味噌カードをビニール袋に入れて、遺族に手渡した。
「これ、銀行に持って行ってもいいものですか?」
「さぁ・・・銀行の人もビックリするでしょうねぇ・・・やはり、やめといた方がいいと思いますよ」
その後、遺族がそれをどうしたか・・・まさか、銀行には持ち込んでいないと思うが、私が知る由もない。
宝を得るためには、相応のリスクや困難も克服しなくてはならない。
いい教訓を得た。