特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2006年分
特殊清掃「戦う男たち」
曇時々雨、のち夕焼け
もう、随分と前の話になる。
死体業を始めて間もない頃、私が20代半ばの頃の話だ。
曇時々雨の下、遺体処置のため、ある家に出向いた。
故人は中年男性、死因は肺癌。
遺体特有の顔色の悪さとノッぺリした表情はありながらも、痩せこけた感もなく、外見だけは健康そうに見える男性だった。
家族は奥さんと中学生と小学生くらいの子供二人。
三人は私に対して礼儀正しく、感じのいい一家だった。
故人のそばに正座し、静かに私の作業を見ていた。
そこには重苦しくないながらも厳粛な雰囲気があり、遺族の毅然とした態度から、夫・父親が亡くなったことへの悲しさへ立ち向かおうとする姿勢が伝わってきた。
奥さんは、作業を進める私に物静かに話し掛けてきた。
故人は、会社の健康診断で肺に陰が写ったらしく、精密検査を受けたところ肺癌が発覚。
その時は既に、かなり進行した状態だったとのこと。
余命宣告に絶望しながらも、数少ない回復事例に希望を託して病魔と戦った。
しかし、みるみるうちに体調は悪化し、たった半年余で逝ってしまった。
危篤になってからの苦しみようは家族としてとても見ていられるものではなく、意識が戻らないことを覚悟で最後は強いモルヒネを打ってもらったとのこと。
家族にとっては、断腸の思い、辛い決断だったことだろう。
そんな話を聞きながら、作業を進めた。
遺体は、身支度が整えられると、柩へ納められることになる。
そして、柩に納まってしまうと、もう二度と故人の全身の姿を見ることはできなくなる。
納棺する直前、故人の最期の姿をよく見ておいてもらうため、私は一旦部屋から外にでた。
雨はやみ雲もはれ、空にはオレンジ色の夕焼けが広がっていた。
「きれいな夕焼けだなぁ」
「今日の仕事は、これでおしまいだな」
と、呑気なことを考えた。
すると、私が退室するのを待っていたかのように、家の中から声が聞こえてきた。
私(野次馬)は、耳を澄ました。
「お父さん・・・お父さん・・・」
「三人で仲良く力を合わせて生きていくから、心配しないでね・・・」
家族三人が泣いている声だった。
「故人は、昨日は生きていて、今日は死んでいる・・・」
「昨日はいたのに、明日にはいない・・・」
「時間は、何もなかったのように過ぎていくだけ・・・」
「故人も、かつてはこの場所からこの夕焼けを見ていたんだろうなぁ・・・」
私は、斜め上の空に広がる夕焼けを眺めながら、そんなこと思いを巡らせた。
中からの泣き声が落ち着いた頃、私は部屋に入っていった。
そして、家族と一緒に故人の身体を柩の中へ納めた。
我慢できなかったのだろう、三人はポタポタと涙を流して泣いていた。
一連の作業が終わり、帰途につくため私はその家を出た。
空の夕焼けは、燃えているように紅さを増していた。
奥さんは、玄関外まで見送りに出てくれた。
そして、憔悴した面持ちで言った。
「私達は、これからどうすればいいんでしょうか・・・」
「・・・」
「夕焼けか・・・明日は、きっと晴れますよね」
「ええ、多分・・・」
そんな言葉を交わして、私は現場を去った。
あれからしばらくの時が過ぎた。
三人の家族には、どんな人生が待っていただろう。
すぐに笑顔を取り戻して、仲良く暮らしただろうか。
奥さんは、二人の子供を抱えて苦労しただろうか。
二人の子供は立派に成人し、母親を支えているだろうか。
今日の東京は快晴だった。
そして、あの時と同じようにきれいな夕焼けが見えた。
あの家族の家からも、同じように見えたに違いない。
「明日は、きっと晴れますよね」
別れ際にそう言った奥さんの言葉の意味が、この歳になってみて初めて心に染みてくる。