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特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2006年分

特殊清掃「戦う男たち」

ピエロ

「特掃隊長」こと私は、今までのブログから人付き合いが苦手(下手)な、暗いヤツだという印象を持たれているかもしれない。
実のところ、肯定も否定もできない。
孤独を愛するわりには、結構淋しがり屋なのである。

社会生活を無難に過ごしていくためには、人間関係を円滑に運んでいくことが大事(必要)とされる。
それにはまずコミュニケーションが大事(必要)。
しかし、ただのコミュニケーションではダメ。
本音風の建前と社交辞令、協調風の迎合と妥協がポイント。
本音・本心が通用する範囲がどれだけ狭いものか、理解してもらえる相手がどれだけ少ないかは、私が言うまでもないことだろう。
ひょっとしたら、それらは皆無かもしれない。

私は、人間関係のほとんどは、利己的な打算にもとづいた利害関係でしかないように思う。
そんな中で、数少ない真実じみた関係を探しだし、それを信頼関係だと錯覚しているに過ぎないのではないだろうか。
私が、ひねく過ぎ?

世間の人を大きく三つに分けると、好きな人と嫌いな人、好きでも嫌いでもない人に分かれる。
「嫌いな人」と言うと極端かもしれないが、肌が合わない人・ウマが合わない人・感性や価値観が著しく違う人・そのキャラが苦手な人を含んでの「嫌いな人」である。
また、「好きでも嫌いでもない人」というのは、関係の薄い人を指す。
好きとか嫌いとかを判断できるまでの付き合いや関わりがない人だ。
そうすると、身の回りには「好きな人」がわりと少ないことに気づく。

小心者の私は、好印象を持ってもらいたくて、誰に対しても愛想笑い(つくり笑顔)をしようとする。
ただ、それは本心からでる笑顔じゃないもんだから、上手くできない上にどことなく不自然なものである。

世の中には、すごく上手にピエロを演じることができる人がいる。
決して、皮肉っているわけではない。
その器用さやたくましさに、人間社会を生き抜くある種の生命力さえ感じるのだ。
動物にはできない技だ。

死人相手の商売だって、上手にピエロを演じることが必要なことが多い。
仕事上、依頼者には好印象を持ってもらった方がいいし、少しでも誠実そうに見えた方がいい。
そのために、できる限りの背伸びする私。
でも、腐乱現場に一歩足を踏み入れた途端に上げていた踵が下がる。
「こりゃヒドイですねぇ」って。

また、特掃の現場に入るとピエロなんて入り込む隙間(余裕)はない。
追いつめられた状態での作業にピエロを存在させる意味もない。
裸にされた自分自身だけが冷汗と脂汗をかきながら、時には涙を流しながら格闘する。
そんな状況の中では、真の自分・自分の真が露になる。
そこには、くじけそうになる自分がいる。へこたれそうになる自分がいる。逃げたくなる自分がいる。

恥ずかしながら告白しよう。
私は、一人の現場で泣くことがある。
「心が泣く」等といった比喩的・抽象的なことではなくて、涙を本当に泣くのだ。
もちろん、故人の死に様や遺族を哀んで泣くのではない。
それどころか、汚した故人や依頼してきた遺族を愚弄(逆ギレ)するような気持ちがでることさえある。
では、何に泣くのか・・・自分の置かれた状況を悲観して泣くのだ。
その惨めさ、空虚さ、過酷さに泣くのだ。
私は、その程度の人間。

依頼者に見せる私の姿は、下手ながらも一生懸命に演じているピエロ。

ピエロの化粧には涙の滴が描かれるが、それには深い意味があるのだろう。
その意味が、私なりに分かるような気がする。

そんな特掃ピエロは、今日も生きている。

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