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特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2007年分

特殊清掃「戦う男たち」

俗に言う「正月三が日」も今日で終わり。
明日くらいから、世間はいつもの動きを取り戻してくるのだろうか。
くどいくらいに言ってるけど、死体業には盆も正月も関係ない上にめでたい仕事でもないもんだから、世間とのギャップに私の気分は低滞気味である。

このブログを書き始めたのは昨年の五月、晩春だった。
あれから、8ヶ月弱。
喜怒哀楽・試行錯誤の中で今日まで書き(ケータイ打ちまくり)続けている。

特掃の仕事は、毎日決まった件数が入ってくる訳ではない。
一年を通じた季節変動もあるし、日々の仕事量にも波がある。
「もう勘弁してくれ!」
と思うほど立て込む時もあれば、
「今月は飲み代がでないかも?」
と不安になるほど仕事が止まる時もある。
しかし、自然の摂理なのか何なのか分からないけど、一年が過ぎてみると毎年うまく帳尻が合っている。
欲を言わせてもらえれば、もうちょっと稼がせてもらいたいけど・・・。
しかし、人が死ぬことによって糧を得る仕事って、心中複雑だ。
しかも、特掃は並の死に方じゃ仕事にならない訳で・・・。
私は、決して、人の死を望んでいる訳ではない。
ましてや、異常死なんて望む訳ない。
だけど、私はそれがないと食っていけない。

心の闇に支配されると、
「俺って、死体にたかるハイエナだな・・・いや、ハエ・・・ウジだな」
等と考えて、更に落ち込む。

私について書いてくれるコメントには、
「職業に上下をつけ過ぎ」
「社会的地位を気にし過ぎ」
「自分を卑下し過ぎ」
と言う旨のコメントが少なくない。

書き込んでくれる人の気づかいや励ましはありがたい。ホントに。
だけど、これをどう受け止めるべきかなかなか悩む。

死体業って、人が死ぬのを待つ仕事。
そして、一般社会では死を連想させることは敬遠され死体は嫌悪される。
商売繁盛を願うことと人が死ぬことを分離して考えていても、結局は一義的なもの。
私が、ことあるごとに自分を卑下してしまう原因の一つはこの辺にあるのかもしれない。

人の縁って不思議なもの。
人生は、出会いと別れの繰り返しだ。
その時々に色んな人と出会い、いつの間にか別れていく。

特掃をやってても色んな人と出会うが、昨年は例年にない出会いがあった。
ブログを読んでくれている人との出会いだ。
「まさか、現場で読者と会うことになるとは・・・」
依頼者には、うちに見積・作業を頼んだ後でブログを読んでくれる人が多い。
そんな中でも、現場が発生する前から読んでくれている人が数人いた訳である。
全体の施行件数から比べると少ないけど、その数人との出会いには、驚きとともに不思議な縁を感じた。

だいたいの現場では、見積検分の際に初めて依頼者と会う。
そこで初対面した時に、
「ブログ、読んでますよ」
「まさか、自分がお願いすることになるなんて、思ってもみませんでした」
そんな風に声を掛けてくれる。
「あぁ、そうですか・・・」
「それは、どうも・・・」
私は、わざと淡泊な反応をする。
ブログの外ではシャイな私、何となく恥ずかしいのだ。
幸いなことに、
「貴方が特掃隊長ですか?」
と、ハッキリ尋いてくる人はいなかった。
そして、尋ねられないので、私の方からも自分が特掃隊長であることは言わないでいた。
暗黙の了解?

ただ、ありがたいことに、どの人も紳士淑女的に接してくれ、気持ちよく仕事をさせてもらった。
そして、皆さんが私に礼を言ってくれ、中には、「これからも読みますね」と、不幸の最中なのに笑顔で手を振ってくれた女性もいた。
人に嫌悪されることには免疫があっても、人に優しくされることには慣れていない私。
何気ない心配りでも、涙がチョチョぎれそうになる。
「この仕事も悪いことばかりじゃないな」
と、ホットな気分になった。

「人生」って、「人が生きる」と書く。
「人間」って、「人の間」と書く。
やっぱり、生きるうえでは人と人との縁は大事だ。
ただ、私が持つ縁のほとんどは「腐れ縁」だ。
自慢にもならないことは承知だけど、これだけたくさんの腐れ縁を持っている人間は、一億日本国民の中にもそうはいまい。

どんな人も、日々の生活で、私などとは関わらないで過ごせるに越したことはない。
既に私に会ってしまった方々、二度と会わないで済むことを祈る。
まだ会ってない方は、会わないようにしたいもんだね。

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