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特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2007年分

特殊清掃「戦う男たち」

最期の日

ある女性が亡くなった。
死因は乳癌、30台半ばの死だった。

その一年半前、女性とその夫は二人の間に子供ができたことを喜んでいた。
お腹の中で胎児がスクスクと育っていることを実感し、幸せな日々を送っていたことだろう。

そんなある日、女性は胸の異変に気づいた。
念のために病院で検査。
そこでの診断は乳癌。
しかも、かなりの悪性。
軽率な表現になるが、まさに「天国から地獄」と言ったものだっただろう。

医師と夫婦は悩んだ。
抗がん剤の投与は胎児に悪影響がでる。
しかし、このまま放っておけば、出産まで命が保てるかどうか分からない。
そんな苦悩から出された結論は、最小限の投薬を行いながら、胎児の成長を待つ。
そして、帝王切開で出産の後、本格的な癌治療を開始するというものだった。

「身体が病むことより、子供が病むことの方が恐い」
女性は、そんな生き方をみせた。
癌細胞の拡大転移より早い胎児の成長を、命がけで祈っていたに違いない。

お腹の赤ちゃんは無事に成長し、そして生まれてきた。
薬の影響を受けている可能性が高く、女性は、子供に母乳を与えることはできなかった。
それでも、女性は子供の誕生がことのほか嬉しかったことだろう。

しかし、現実はそんなささやかな幸せも長くは与えてくれなかった。
既に女性の身体は抗癌治療に耐えられるレベルになかったのだ。
そこで下された診断は、「余命三ヶ月」。
酷な宣告だった。

それでも、夫婦は諦めなかった。
東洋医学や免疫療法にまで助けを求めた。
しかし、期待と裏腹に身体はみるみるうちに衰え、赤ん坊の一歳を共に祝うことなく最期の日を迎えたのである。

「最期の時、子供を抱いて逝きたい」
そんな女性の願いは叶えられた。

安置された女性は、痩せた笑顔を浮かべていた。

ある男性が亡くなった。
死因は悪性リンパ腫、40台半の死だった。

若かりし日の男性は、苦学生だった。
遊興に溺れる他学生を尻目に、一生懸命に勉強。
そして、大学で学んだことを生かして希望の仕事に就いた。
その仕事も順調で、妻と子供に囲まれて幸せに暮らしていた。
平凡かもしれないけど、あちらこちらに小さな幸せがたくさんあった。

そんなある日、何日も続く微熱が気になって病院に行ってみた。
検査の結果は、悪性リンパ腫。
早期の手術が求められた。

男性と家族は、その診断をとても受け入れることはできなかった。
男性は極度の鬱状態に陥り、妻は泣いて暮らす日々が続いた。
幼い子供達は、状況が理解できずに無邪気なまま。

手術は成功とも失敗とも言えないものだった。
戦いの日々の中で、男性はある確信にたどり着いた。

「身体が病むことより精神が病むことの方が恐い」
男性は、そんな生き方を見せてくれた。

強くなっていく精神とは逆に、身体は病に蝕まれていった。
手術も虚しく、そこで下された診断は「余命半年」。
酷な宣告だった。

男性とその家族は、自宅療法を選んだ。
病との闘うことより、家族との時間を優先したのだ。

残りの数ヵ月は、男性と家族にとって穏やかな日々だった。
寂しさと悲しみの中にも、輝いた真理があった。
そして、男性は家族のいる家で最期の日を迎えたのである。

「最期の時、空を仰ぎながら逝きたい」
そんな男性の願いは叶えられた。

安置された男性は、薄目を開けて微笑んでいた。

ある男が生きている。
30代後半。
時には心の闇に支配され、時には死人のようになり、色んなモノと戦いながら。

最期の日を、男はどんな顔をして迎えるのだろうか

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