Home特殊清掃「戦う男たち」2007年分ロンリーチャッポリン ~アウトドア編~

特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2007年分

特殊清掃「戦う男たち」

ロンリーチャッポリン ~アウトドア編~

子供達の夏休みも折り返し地点にさしかかってきた。
地域によっては、既に後半に入ってるところもあるのだろうか。

「今のうちに、思いっきり遊んでおけよー」
「大人になったら、なかなか大変なんだからなー」
無邪気に楽しめる時間は、人生の宝。
真っ黒に陽焼けした子供達が走り回っている光景は、微笑ましいかぎり。

子供の頃の夏休みって40日もあって、本当に楽しかった。
見るモノ聞くモノ全てが新鮮で、ちょっとしたことにでも感動を覚えていた。
一体、あの時の感受性はどこに行ってしまったのだろうか。
もう、そんな純真無垢には戻れないと思うと、お盆を過ぎ、夏休みの残り日数が少なくなってきたときのような寂しさを感じる。
ま、今にして思うと、何もかもが遠い夢だね。

この季節の土日の道路は、いつもと違った混み方をする。
各高速道路の午前中は下りが渋滞し、午後は上りが渋滞する。
だから、そのルートに乗らないと現場に行けないときは、時間に余裕を持たせる必要がある。
そんな日は、朝も早くから夜も遅くまで仕事は続く。

行楽渋滞にハマって車をジリジリ進めていると、自然と他の車が目に入る。
楽しそうにしている家族連れや若いカップルを見ると、
「事故のないよう、気をつけてね」
と思う。
かつては、
「羨ましいなぁ・・・片や俺は・・・」
等と思って虚しさに気落ちしていたが、歳を重ねる度にそんな気持ちは薄くなってきている。
今でも、羨ましさや妬みがないわけでもないけど、かつて、他人の笑顔に嫉妬してばかりだった自分を思えば、今の自分はわずかでもマシな人間に成長しているのだろう。

例年は、夏に一度や二度は海に出掛けている私だが、今年はまだ一回も行ってない。
休みが全然とれてないから。
また、残念ながらとれる見込みもないから、今年は一度も行けないかもしれない。

仮に、行けるとしたらお盆前がいい。
お盆を過ぎるとクラゲがでてくるからね。
海に漂うクラゲって、ただでさえ不気味なのに、私から見ると汚腐呂に浮かぶ皮膚にも似てて、更に不気味。

何はともあれ、行楽先での事故にはくれぐれも注意されたし。
多くの溺死体や事故遺体、そして、残された家族の悲しみを目の当たりにしてきた私は、これを声を大にして言いたい。
私のように過剰に〝死〟を意識するのもつまらないけど、私達は常に〝死〟と隣り合わせ・表裏一体の状態で生かされていることも頭の隅に覚えておいてほしい。
無謀と勇敢さは違うし、スリルと油断も違うからね。
それを分かった上で、夏のレジャーを思いっきり楽しんで、いい思い出をたくさんつくってもらいたいと思う。

とある警察署。
担当の署員に連れられて向かったのは霊安室。
ドアを開けたら、部屋の中に充満していた腐敗臭が噴出。
手袋しか持っていなかった私は、マスクを取りに車まで戻った。

霊安室に入るとステンレスのテーブルに納体袋が乗せられていた。
袋の中身は、海から揚がったドザエモンらしかった。

腐敗が進むと、人間の身体は何倍にも膨れ上がる。
その納体袋の膨らみ方は、遺体の状態がかなり悪いことを想像させた。
皮膚は変色し表皮はズルズル。
パンパンに膨れ上がった身体は、腐敗ガスを内包してスポンジ状態。
当然、生前の面影はなくなり、かろうじて男か女かが判別できるくらい。
家族が見ても判別不能、肉親と言えども見ない方がいいくらい。

この溺死体は、事故なのか自殺なのか分からないみたいだった。
分からないのはそれだけではなく、住所・氏名・年齢etc、個人を特定できる情報は何もないみたいだった。
分かっているのは性別と体格、あとは死亡推定日くらい。
当て嵌まりそうな捜索願もなく、遺体は完全に身元不明の状態だった。

私の仕事は、この遺体を柩に納めて火葬場に運ぶこと。
遺体を見ても意味がないし署員もそれには反対したので、納体袋を開けることなく柩に納めた。
副葬品は、ゴミ袋に入れられた故人の着衣のみ。
悪臭の拡散を防ぐため、柩の蓋をガムテープで目貼りし、それを遺体搬送車に積み込んだ。
花も装飾もなく、その死を悼む者もなく、柩はゴミ箱のようであった。

柩を積んで向かった先は地元の火葬場。
そこまで、私と故人はしばしのドライブ。
目貼りが効いているとは言え、それでも柩は悪臭を放っていた。

「身元不明か・・・この人にだって親はいただろうし、子供の時分があったんだよな」
「こんな最期を迎えることになるなんて、誰も予想してなかっただろうな・・・」

到着した火葬場は閑散。
葬式もなく見送る人もない故人は、炉の空いている適当な時間に燃やされるみたいだった。

私は、入口に車をつけ、柩を降ろした。
そして、表情を引きつらせた二人の職員に引き渡した。
ただの同情なのか感傷なのか、汚いモノのように扱われる柩に、私は、何とも言えない寂さを覚えた。

人間、生まれるときも死ぬときも身体一つに変わりはないけど、産まれるときは孤独ではない。
母の胎につながれているから。
しかし、死ぬときは孤独。
孤独になりたかろうが、なりたくなかろうが、死ぬときは一人で逝かなければならないのだ。
最期は一人で迎える宿命にあるのなら、生きているうちから孤独を求めることって、案外、愚かなことなのかもしれないと考えさせられる。

「花くらい用意すればよかったかな・・・」
生命の寂しさを感じながら、職員に引かれていく柩をポツンと見送る私だった。

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