Home特殊清掃「戦う男たち」2007年分一線(後編)

特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2007年分

特殊清掃「戦う男たち」

一線(後編)

腐乱死体現場の片付けをするのに、何か特別な資格や技能が要るわけではない。
国や自治体の許可がいるわけでもなく、遺族が自らの手でやっても何ら問題はない。

他人の手を借りれば借りるほどお金はかかる。
逆に、できるかぎりのことは自分達でやれば、その分費用は安くなるわけだから、この女性も、単にそうすればいいだけのことだったのかもしれない。
しかし、女性の苦悩を聞いた私は、そう簡単には突き放せなくなっていた。
そしてまた、父親宅の汚腐呂を泣きながら掃除する女性の姿を想像してしまい、いたたまれない気持ちになった。

「特掃って、やらされてできるような仕事じゃないな」
人間汚物と格闘していると、頻繁にそんな思いが頭を過ぎる。

私の場合は、人の指示では頭と体が素直に動かないし動こうとしない。
その目的が何であれ、どこかしらに自らの固い意志がないと勤まらない。
カッコいい言い方をすると、使命感・責任感・・・厳密に言うと切迫感かもしれないけど、まぁ、そんな類のものが必要。
決して好きでやってる仕事ではないけれど、自分が自分に率先していかないとやれない仕事なのである。

これは、なにも仕事に限った事ではないと思う。何事に対しても、自分の意志・自分の責任によって動かないと、気持ちが自分に甘える。
人の指示・人の責任でやると、気持ちが折れやすい。
しかし、甘えても折れても、結局は自分がその責任を負うことになる。
どんなにごまかそうとしたって、生きる責任・人生の責任は自分にしか負えないものだからね。

自然死による腐乱現場は、誰の責任でもない。
誰が悪いわけでもない。
本人だって、死にたくて死んだ訳でもなく、腐りたくて腐った訳でもない。
もちろん、「誰かに迷惑をかけてやろう」なんて悪意もないはず。
しかし、悪意がなければ全てが許されるわけではなく、突き詰めれば「健康管理をキチンとしていなかった故人が悪い」と言えなくもない。
しかし、死んだ本人は責任のとりようがない。
すると、必然的に、本来は責任のないはずの残された人が、その後始末をしなければならなくなる。

逃げ道を失った依頼者の中には、
「死にたいのはこっちだ」
と、途方に暮れる人も少なくない。
この時の女性もそうで、先の見えない会話を続けるうちに女性の心細い心中が伝わってきて、私の同情心はグラグラと揺らいでいた。

「お風呂を掃除して、中の荷物を出せば大丈夫でしょうか」
「いや・・・見た目にはきれいにできるはずですけど、ニオイが残ります」
「ニオイですか・・・」「シミが残る場合もあります」
「シミ・・・」
「あとは、気持ちの問題も大きいですよね」
「はぁ・・・」
「大家さんは、内装リフォーム・・・少なくとも、浴室一式の入れ替えは求めてくると思いますよ」
「ええ!?そこまで!?」
「言葉が悪くて申し訳ありませんけど、普通の人は気持ち悪がりますからね」
「・・・」
「そのままでは次の借り手はつかないと思いますよ」
「そうか・・・」

部屋を原状回復するには内装工事まで必要になる可能性が高いこと、それに伴って相当の費用がかかることを伝えると、次第に女性は言葉数を少なくしていった。

そうこうしているうちに一時間余が経過・・・

〝ピーポ・ピーポ・ピーポ・・・〟
突然、携帯電話から何かの警告音が聞こえてきた。
液晶を見ると〝バッテリー容量不足〟の表示。

「す・すいません・・・バッテリーがなくなりそうで、もうすぐ切れると思います」
「あ!長電話して申し訳ありませんでした」
「少し冷静に考えて、また何かお役に立てそうなことがあったらご連絡下さい」
「わかりました」
「変なところからはお金を借りないで下さいね・・・値引でも分割払いでも、協力できるところは協力しますので」
「ありがとうございます」

話の途中で電池切れしては後味が悪いので、私は急いで話を閉じて電話を切った。
私には、重圧からの解放感と中途半端な残悔感があった。

「できるかぎり応えたからいいだろう」
「何かあればまた電話があるはずだし」
私は、暗くなった気分を振り切るように携帯電話を充電コードにつないだ。

過去に何度か記しているように、私は自分と金のために仕事をしている。
ボランティア精神の欠片くらいはあるのかもしれないけど、基本的に利己主義者。
誰かの役に立ったり誰かに喜んでもらったりできているのは、ただの結果。
残念ながら、私の志が起因していることではない。

しかし、そんな私でも妙な使命感が働いて、料金を考えずに+αの仕事をすることはよくある。
現場に行くと、お金にならないことを承知で何かをすることもある。
しかし、最初からタダ仕事をするつもりで現場に出向くことはない。
相手が気の毒な状況にあっても、私には〝無料奉仕〟の概念はないのだ。

「結局、どうしたんだろうな・・・」
翌日も、そのまた翌日も女性から電話がかかってくることはなかった。

その後数日、女性のことが気になりつつも、私には、自分から電話するほどの親切心はなかった。
気の毒ではあったが、助け船を出す優しさはなかった。
女性は、藁をも掴むような気持ちで相談を持ち掛けてきたのかもしれないのに、結局、私は動かなかった。

これは仕事。
生きるための仕事。
だから、金にならないことはやらない。
困った人を助けることは大事だと思うけど・・・。

人の死を取り扱う仕事だからか、その辺に一線を引くことには中の葛藤と外の批判が伴う。
生きていくためとは言え、人の死を金儲けの手段にしていることの難題を抱え、その都度ブルーな気分を引きづりながらこれからも仕事をしていくのだろう。

それは誰も指示しないこと。
やるもやらないも自らの意志。
・・・私は、〝無料奉仕〟という一線を未だに越えられない冷たい男なのである。

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