特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2008年分
特殊清掃「戦う男たち」
風に吹かれて
一度現場に入ると、昼休憩もとらずにぶっ通しで作業をすることが少なくない。
腹も、現場に向かう車中のブランチで保たせる。
汚れた装備の脱着が面倒なせいもあるけど、中途半端に休憩なんかとってしまうと、気持ちが萎えてしまうことがあるからだ。
ただ、涼しい季節はそれで何とかなるけど、さすがにこれからの季節はそういう訳にはいかない。
春先でも重労働になると汗が流れる。
それが、夏場になると尚更。
外は炎天下、屋内はサウナ状態、そんな環境での作業にはこまめな小休止と水分補給が不可欠。
作業に集中し過ぎてそれを怠ると脱水症状で倒れかねないため、その辺は慎重にならなければならないのだ。
晴天の日には、現場を少し離れて外の風に当たることが多い。
これが、何とも爽快!
マスクをしているとは言え、鼻にも口にも肺にも、何かよからぬモノが入っているような気がする私は、外の風を吸うだけで心身が浄化されるような気分になれる。
意識的にやっているわけではなく、自然と気持ちが空を欲するのだ。
・・・さしずめ、〝風で一服〟といったところか。
故人の兄を名乗るその男性は、随分とフランク・・・いや、横柄な喋り方をする人物だった。
身内の死を悲しむ素振りもなく、電話の向こうでべらんめえ口調を展開。
私の話もロクに聞かず、電話機からハミ出るくらいの大きな声で現場訪問の日時を指定。
タメ口を越えた言葉使いに眉間にシワを寄せた私だったが、もともと〝押し〟の強い人には調子よく合わせて世間を渡ってきた私は、この男性にも〝いい顔〟をして従うことにした。
「確か、この辺のはずだけどなぁ・・・」
指定された住所に現場の番地を探しながら、車を徐行。
それらしきアパートを見つけた私は、道路脇に車を寄せた。
「ゲッ!何!?」
現場建物から少し離れたところに停めたにも関わらす、車を降りた私の鼻を例の悪臭が突いてきた。
「あそこだな!」
二階の一室に、窓が開け放たれた部屋を発見。
私は、そこに向かって外階段を駆け上がった。
「うぁ~!全開~!」
現場の部屋は、玄関ドアも窓も全開。
濃い腐乱臭が、風に吹かれて周辺に飛散していた。
「こんちにちはぁ」
アパートは2DK。
玄関を入ってすぐのところに狭いDK、その奥の左右に和室が二部屋。
右側の一室は襖が閉められ、左側の一室は襖も窓も開放。
右部屋に腐乱痕があることは明白で、左部屋には、ビニール合羽を着て簡易マスクを着けた男性が一人。
荷物を片付けているというより、何か探し物をしているようだった。
「こっち、こっち」
玄関前に立つ私に気づいた男性は、部屋に上がるよう手招き。
私は、男性の足元を見て土足OKを確認し、特掃靴そのままで上がり込んだ。
「おー!ご苦労さん、ご苦労さん」
「どうも・・・」
「あっちの部屋で弟のヤツが死んでたんだけどよぉ、気持ち悪くて入れないんだよ」
「はぁ・・・」
「随分ヒドいことになってんだろ?」
「多分・・・」
「このままじゃ入れないんで何とかしてくんねぇか」
「とりあえず、見てきますよ」
私は、隣の部屋に移動。
襖を開けた途端に、中のハエがウンウンと唸りだし、ブンブンと飛び交い始めた。
故人は布団の上で亡くなり、ヒドく腐乱。
横に広がる腐敗液と縦に盛り上がる腐敗粘土によって、布団一組と畳二枚を完全な汚物に変容。
その強烈な臭いとグロテスクな光景には、生きた人間の侵入を拒もうとする見えない力を感じた。
「布団一式と畳二枚が完全にダメですね」
「あ、そぉ!」
「多分、床板もダメになってると思います」
「え!?そこまで!?」
「ここを片付けるとしたら、いくらでできる?」
「ちょっと待って下さいね」
私は、男性の依頼内容と汚部屋の状況を確認しながら、作業費用を積算。
足し算が終わったところで、見積金額を提示した。
「ご依頼の内容を全部やるとなると、〓万円くらいになります」
「え゛ー?そんなにすんの?」
「まぁ・・・」
「じゃぁ、汚れモノだけだったら?」
「布団と畳ですか・・・」
「それだけなら〓千円くらいでできるだろ?」
「〓千円!?・・・いやぁ、その金額じゃぁ・・・」
「なんでよ!布団と畳二枚だけだろ?」
「〝なんで?〟って言われましても・・・」
「布団なんてちょっとした粗大ゴミ程度だし、畳なんかは畳屋だったら喜んで持ってくだろ?」
「その畳とこの畳は、違いがあり過ぎますよ・・・」
「何とかなんない?」
「そう言われても・・・」
コテコテの汚腐団と畳が普通ゴミになるわけもなく、私は、男性の理屈に閉口。
段々と気分が悪くなってきた。
「ちょっと探したいものがあるんだよ・・・」
「何ですか?」
「預金通帳と生命保険証書」
「はぁ・・・」
「いくら探しても、こっちの部屋にはなくてなぁ」
「・・・」
「多分、そっちの部屋にあるんじゃないかと思うんだよ」
「・・・」
「だから、何とか人が入れるくらいにしてほしいんだよな」
男性は、片付けるつもりで部屋に来たのではなく、目的はあくまで金品。
その浅ましさは同類の私が非難できるものでもなかったけど、〝それ以外のことは知ったこっちゃない〟といった姿勢がありありと見てとれて、私は気分は悪くなる一方。
それが、いつか誰かがやる・やらなけるばならない事であることは分かっていたけど、了見の狭い私は、すぐにはそれに協力する気持ちにはなれず、気難しい顔で黙り込んだ。
「じゃぁ、窓だけでも開けてきてくんねぇか」
「いやぁ・・・それはできません」
「なんで?」
「近隣から悪臭の苦情がきても責任が負えないからです」
「・・・」
「ついでに言わせていただくと、今でも充分に迷惑がかかっていると思いますけど」
「そんなこと言ったって、仕方ねーだろ!」
そこは、住居が密集する住宅地。
普通は、近隣への配慮から、ドアや窓は閉めたままにする人が多いのだが、男性は、そんなことにはお構いなしで汚部屋以外の全てのドア・窓を全開。
周辺に、不気味な悪臭を撒き散らしていた。
結局、私は、男性とすったもんだのやりとりをした後に、とりあえず、汚物の梱包だけをやることにした。
車から、必要な道具・備品を持ってきて、汚腐団を手際よく梱包。
それから、黒茶に汚れた畳二枚もめくり上げた。
それから、シミの着いた床板にシートを貼り、見た目の問題を応急処置的に解消させた。
「え!?もう終わったの?」
「まぁ・・・慣れてますからね」
「もう入って大丈夫?」
「ええ・・・ただ、クサいですよ」
「OK!OK!それくらいなら大丈夫!」
男性は、喜び勇んで部屋へ。
その様は、腐乱死体部屋とはミスマッチで、脳が抵抗感と消化不良感を併発。
増していく不快感が抑えられなくなってきた私は、現場から退散することにした。
「私は、一旦、これで帰りますけど、また何かあったら御連絡下さい」
「あいよ!ご苦労さん!」
私は、中途半端な仕事のせいか、男性に自分の陰を見たせいか、何だかスッキリしないものを感じながらアパートを離れた。
その後、この現場は大家・不動産会社が主体となって処理が行われ、〝乗りかかった船〟の私も携わることに。
しかし、あの日が最初で最後、それから私が男性と顔を合わせることは二度となく、その存在は大家・不動産会社の愚痴を通じて知るのみとなった。
故人は生涯独身。
地味な仕事ながらも、一つの会社に勤務。
生前の生活ぶりは、〝左団扇〟とまではいかないまでも、誰の目にも悠々自適に見えた。
そして、本人も、兄(男性)に対して、〝自分の生活には余裕がある〟ような素振りを見せていた。
それで、男性は、弟(故人)がそれなりの財産を蓄えていたものと判断。
唯一の肉親として、遺産を我が物にしようとしていたのだった。
しかし、男性が目の色を変えて探していた生命保険証書は見つからず、以前に解約されていたことが判明。
通帳はでてきたものの、残金は雀の涙ほど。
すると、男性は手のひらを返したように豹変。
〝故人とは関わりは薄かった〟〝保証人でもないから、事後処理の責任はない〟〝遺産相続も放棄する〟と、いきなりの他人面。
これには大家も不動産会社も憤慨しており、その後の事後処理が難航することは必至の様相を呈していた。
作業を終え帰るときには、最初に外で感じたような悪臭はもうなかった。
それより何より、弟の死をも蔑ろにするような男性の拝金的振る舞いとそれを他人事にしきれないない守銭奴(自分)に、鼻が曲がりそうなくらいの人間臭を感じたのであった。
「あとは風が消してくれるか・・・」
部屋に残ったニオイも鼻を突く人間臭も、風が吹いて時が経てば自然と消えていくもの。
目に見える外の汚れも、目に見えない内なる汚れも、全てが過去の夢幻となる。
真っ青な空に透明な風を受けながら深呼吸して、自らの人間臭を中和する私だった。