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特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2008年分

特殊清掃「戦う男たち」

懐具合・心具合(自考編)

私が言うまでもなく、しばらく前から、色んな物の値段が上がっている。
始めは、他人事のように思って気にも留めてなかったけど、最近になって少しずつ肌身に感じるようになってきた。
日々の金額に換算すると少額のため、なかなか危機感を持ちにくいけど、こういうのってボディブローのようにジワジワ効いてくるものなのだろう。
そして、気づいた時には、再び立ち上がる力は残されていない?
〝少額だから〟と、舐めてかからない方がよさそうだね。

中でも、ガソリンの高騰は著しい。
車が欠かせない私の仕事では、ガソリンは日常的な消費物。
もちろん、ガソリン代は自腹ではなく会社経費だけど、その費用はかなり気になる。

始めの現地調査(見積り)は、原則として無料で動く。
しかし、ガソリン代・高速道路代・人件費等は相応にかかる。
困っている依頼者の相談に乗ってアドバイスをするだけでも無意味なことではないけど、それが仕事(売上)にならないと、やはりツラいものがある。

それらの影響も少なからずあるのだろうか・・・
年々、社会的弱者・経済的弱者が増えているような気がする。
こういう時勢になってくると、自分の生活を守るだけで精一杯・・・自分の生活を守ることさえままならなくなっている人が増えているような気がしてならない。

呼ばれて出向いたのは、小さな病院の一室。
私は、人と目を合わせないようにしながらストレッチャーを引き、指示された病室に直行。
目的の病室には、廊下に溢れ出るくらいに多くの人が集まっていた。
会話の内容から、その人達は、故人の兄弟姉妹・子・孫・それぞれの配偶者であることが伺えた。
その中には、泣く人もあれば、故人に話し掛ける人もあり・・・
何が起きているのか理解できない子供達も、大人達の悲哀感にのまれて静かに表情を固めていた。
私は、その群をストレッチャーでかき分けながら故人の眠るベッドに近づいた。

私の仕事は、遺体の搬出。
動作的には、決して難しい仕事ではない。
ただ、そこは個室でなかったため、他の患者のことも考えなければならなかった。

同じ部屋の縁で、それぞれの人が生前の故人と関わりを持っていたはず。
同じように病苦・苦悩を抱える身の上で、外界では築けないような人間関係ができていたかもしれない。
その人が逝ってしまったとなると、複雑な心情なっても不自然ではない。

それぞれのベッドは、カーテンで仕切られてきたものの、薄っぺらいそれが遮断できるのは視覚のみ。
他の患者がカーテン越しに聞き耳を立てているかもしれないことを考えると、私は寡黙にならざるを得ず。
更には、大勢の親族はそれぞれにそれぞれの会話をしており、私は、ただ黙々と作業を進めるしかなかった。

故人は、老年の男性。
背丈は標準ながら、体格は大。
ベッドから担架に移動させるときは誰かの手を借りなければならず、私は、傍にいた男性何人かに手伝いを依頼した。
しかし、身内と言えども遺体に触るのは抵抗があるとみえて、皆、戸惑いの表情。
それでも、見よう見まねで遺体を一緒に持ち上げてくれた。

担架に乗った故人は、私の手でスッポリとシーツに包まれ、車のシートベルトと同様の締め付けベルトでシッカリ固定。
その時点で、人間だった故人はただの荷物と化した。
それから、私は、重くなったストレッチャーを押してザワつく病室を出た。

遺体搬送車は、病院裏口に駐車。
その構造として、後部半分はストレッチャーが占有。
座席はあるものの、定員は4人(故人を含めると5人)。
当然、運転席は私専用。残された座席は3人分のみ。
親族は、誰が同乗するかを協議。
乗りたがる人が多かったためか、逆に誰もが乗りたがらなかったためか、話し合いは難航。
第三者からすると、わざわざ議論するようなことではないと思われたのだが、遺族はいつまでも話し合っていた。
まぁ、遺体搬送車なんて珍しい乗り物は、滅多に乗れるものじゃないから?、仕方のないことかもしれなかった。

しばらくして、代表?三人が選抜された。
それは、二人の中年女性と一人の中年男性で、皆、故人の子のようだった。
私は、一番大人しいお客を最初に乗せ、後から三人を乗せた。
それから、残された大勢に一礼してから車を出発させた。

指示された目的地は火葬場の霊安室。
自宅に戻ることなく、葬儀場に直行するルート。
葬儀式場が増えてきているせいか、自宅に戻らないで火葬される遺体は徐々に増えてきているような気がする。
この故人も、やはりそうだった。

遺族は、葬儀場に行く前に、ある所に寄ることを依頼。
思い出の地を経由するのを依頼されるのは珍しいことではないので、私は快く承諾。
遺族の道案内で、進路を変更した。
しばし走って後、車は町工場らしき古びた小さな建物の前へ到着。
そこは、その昔、故人が営んでいた会社のようだった。
この工場でどんな仕事が行われていたのかは知る由もなかったけど、廃屋になってから長い時間が経過していることだけは私にもわかった。
三人は、懐かしそうに建物を眺めながら昔話に花を咲かせた。

そうして停車することしばし。
一通りの昔話を終えた三人は、気が済んだように物静かに。
それを受けて、私は、最終目的地を目指して車を再出発させた。

最終目的地である斎場に到着するまで、一時間くらいかかっただろうか。
その間、私はほとんど黙っていた。
しかし、三人の間には積もる話があったようで、車中に人の声が絶えることはなかった。
一人は隣(助手席)に座っているわけで・・・三人の会話は、聞こうとしなくても私の耳に入ってきた。

故人は、零細ではあったけど、長年に渡って会社を経営。
しかし、その経営は楽なものではなく、サラリーマンが定年を迎える年齢の頃、あえなく会社は倒産。
土地も建物などの資産全て失い、多額の負債だけが残った。
そして、それに時期を合わせたかのように妻が急逝。
故人が生き残る道は、破産しかなかった。
所有していた自宅も手放さざるを得ず、老いた身体をもって賃貸アパート暮らしをスタート。
新たな仕事を探しても安定した仕事にありつくことはできず、生活は困窮。
更に、老齢とストレスが重なってか、体調を崩した。
仕事もない上に身体も壊し・・・
結局、最期の数年は、生活保護の世話にならざるを得ない暮らしとなった・・・
三人は、そんな故人を深く哀れんでいるようだった。

昨今の葬儀の小規模化はに著しいものがある。
〝家族葬〟や〝密葬〟と言われる形態のものが増えてきているのだ。
私の場合、葬式なんて、〝本人のため〟というよりも〝残らせた人のため〟にやるものだと思っている。
もちろん、葬式について故人が遺言している場合などはその限りではないだろうが、基本的にはそう考えている。
だから、葬送形態に〝こうあるべき〟なんてこだわりはない。
関連法規に触れたり、社会倫理を著しく逸脱したりしてはいけないけど、そうでなければ基本的に自由だ。

そんな中で、〝棺一〟(カンイチ)(業界内の俗称)と呼ばれる形態がある。
これは、家族葬や密葬よりもさらに簡素な形態のもの。
読んで字のごとく、柩一本で済ませる葬送のことである。
通夜も告別式もなく、祭壇も弔問もない。
供花や読経が省かれることもある。
納棺して、そのまま荼毘にふされるだけ。
どうしたって、味気なさは否めない。
そんな形態をとる理由の第一は、やはり経済的な問題だろう。
普通に葬式をやる場合に比べれば、格安で済ませることができるから。
三人の話を聞いていると、どうもこの故人も、〝棺一〟で送られるようだった。

三人は、色々な思い出を語っては、故人な同情を寄せていた。
ただ、話が進むにつれ、その悲哀は批判に変化。
まるで、〝(故人の)仕事がうまくいかなかったのは社会の問題〟〝生活保護政策は薄すぎる〟〝故人の周りの人は冷たかった〟と言っているかようにか聞こえてきて・・・その悪口は、私の耳に不快な何かを響かせた。

「仕事がうまくいかなかったのは、自己の責任が大きいんじゃないのかなぁ・・・」
「キチンと年金をかけてれば、そこまでのことにはならなかったんじやないのかなぁ・・・」
「子供が三人もいて、生活保護にならないため支援はできたんじゃないのかなぁ・・・」

単に、故人の過ごした苦境に同情し、その人生を労うだけだったら、私の耳に引っ掛かるものはなかったかもしれない。
身内として、故人を擁護したいと思うのは自然なこと。
しかし、その責任を社会に転嫁していくことに、私は妙な違和感を覚えた。

最近、定められた各種税金・各種社会保険料を納めない人が増えているらしい。
しかし、その将来がどういうものになるか、わからない訳ではないだろう・・・
と言うより、今を生きるのが精一杯で、将来を考える余裕はないのか・・・
もちろん、払わない・払えない理由・事情はあるだろう。
しかし、そんなことがまかり通る社会に希望は持てるだろうか。未来はあるだろうか。
政府や役人の問題や、それを批判したい気持ちは山ほどあるけど、まずは自分が何をすべきか、何ができるかを考えて実行しないと、自分の人生は開けてこないように思う。

生活保護政策の原資は、税金。
血と涙と汗を流す我々の身体から絞り採られた税金である。

社会的・経済的な弱者が国策によって救済されることが当然のことかどうかはさて置き、社会に必要な仕組みだとは思う。
しかし、それが適正・適切に行われているかどうかに、疑問がないわけではない。
大半の受給が適正・適切に行われているものと信じたいけど、一部には不適正・不適切な受給が行われている疑いは消えないのだ。

受給すべき人に支給されず、受給すべきでない人に支給する・・・
事情はどうあれ、定められた税金や社会保険料を払わずにおいて、結果的に生活保護に頼る人間がいることに、妙な不満を覚えてしまう。
社会のルールに反抗してそれを守らない者が、結局は、社会のルールに比護を求めそれにしがみつく・・・
〝勤勉な誠実弱者〟と〝怠慢な不誠実弱者〟を総じて行われる弱者救済を単純に賛同する気にはなれない。
一人一人が自己責任を持って自助努力をしてこそ、真の互助社会が成り立って機能する。
・・・そんな風に思うのは、私の心の具合が悪いからなのだろうか・・・

そんなことを憂いながら、〝タバコ一箱1000円増税〟に陰ながら賛成している私である。

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