特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2008年分
特殊清掃「戦う男たち」
人生の正真
私が酒を控えるようになってから、しばらくの時が経つ。
かれこる6月末からだから、五臓六腑に滲み渡っていたアルコールもだいぶ抜けてきただろうか。
意図せずして、人との付き合いで飲むことは何度かあったけど、珍しいことに、あまり美味く感じなかった。
冷えたビールも磨かれた日本酒も、口や腹は歓迎せず。
例年になくこの時季に買い置きしてある〝にごり酒〟も、冷蔵庫で長らくその白い肢体を横たわらせている。
このまま酒嫌いになった方が身体にも懐にも人にも?優しいのだろうが、それだと人生の楽しみを失ってしまうような・・・複雑な心境である。
何はともあれ、そんな節制の甲斐あってか、体調も少しはよくなりつつある。
ただ、この夏を乗り切るためには、もう少し回復したいところ。
不幸中の幸いで、食欲は減退していない。
仕事柄、食事を摂る時間は極めて不規則だけど、食べられるときはシッカリ食べている。
だから、空腹時、飲食店から漂う食べ物の匂いを嗅ぐと、猛烈に食欲が刺激される。
とりわけ、鰻や焼鳥が焼ける匂いは格別で、嗅いだだけでヨダレがでてくる。
鰻と言えば、夏が旬のようになっているけど、もともとは冬の食べ物だったらしい。
それが、夏の消費量を増やすため人為的な工夫がなされた結果として夏が旬のようになったとのこと(一説)。
どちらにしろ、出回っている鰻のほとんでは養殖・外国産らしいので、旬なんてあってないようなもの。
その味の本質は季節や食材・調理法ではなく、空腹感と感謝の気持ちが決めるのではないだろうか。
それはさておき、昨日は、土用の丑の日だった。
現場を走り回ってヘトヘトになっていた私は、鰻の〝う〟の字も頭に浮かんでこなかった。
覚えていたところで懐が拒絶するんで、結果は同じことなんだけど・・・
ちなみに、今年は土用の丑の日は二回あるみたいで、次は8月5日らしい。
その日、どこでどんな仕事をするのか全く未定で、食事時にどこで何をしているかわからないけど、多分、鰻が私の口に入ることはないだろう。
こんな体調だからこそ、たまには奮発して精をつけた方がいいのかもしれないけど。
〝鰻は煙を喰わせる〟と言われるように、蒲焼のタレと鰻脂が焦げる匂いにはたまらないものがある。
焼鳥や焼肉にも同じようなことが言えるけど、ジュージューと焼ける匂いだけでも御飯のおかずにできそうなくらい。
肉が焼ける匂いを香ばしく感じ食欲が反応するのは、肉を食らう動物の本能なのだろうか。
それとも、ただの個人的な好みだろうか。
しかし、肉が焼けたニオイも、いいニオイばかりではない・・・
霊安室の扉を開けると、中には薄っすらと焦げ臭さが漂っていた。
事前に〝焼身自殺〟と聞いていた私には、そのニオイの原因をすぐに察知。
私は、冷たく光沢するジュラルミン台にポツンと置かれた納体袋に近づいた。
警察署の霊安室では、遺体は仕事の用品のよう。
誰にも悪気はないけれど、〝死人の尊厳〟がどうのこうのと言っているヒマはない。
日によっては変死体が次から次ぎへと運び込まれ、市場の活気に似た慌ただしさが生じる。
検死待ちの遺体が並ぶ中で、検死を済ませた遺体は早急に運び出すことが求められる。
その時もまた、その遺体をさっさと柩に納めて、とっとと運び出す必要があった。
まずは、その損傷が遺族が見れるくらいかどうか確認するため、私は、納体袋に近づいて閉じられたジッパーに手をかけた。
そして、片目だけ薄く開いて、手元に視線を送った。
「あ゛・・・」
濃い異臭とともに、目の前には、黒焦げの顔が出現。
〝不気味〟といった感情を通り越して、よくできたホラーメイクでも眺めるかのように私の感情は動かなかった。
「こりゃ、ヒドいなぁ・・・」
顔・頭は黒コゲ状態。
髪の毛はもちろん、更に、耳・目蓋・鼻・唇・・・燃えやすそうな部位も焼失。
むき出しの白い歯は苦しそうに何かを噛み締め、眼球は虚ろに一点を凝視していた。
「こりゃ、遺族には見せられないな・・・」
私は、その顔をマジマジと観察。
いくら眺めでも、それは遺族に見せられるような顔ではなかった。
頭部から上半身にかけて酷い火傷を負い、腐敗も進行。
袋の底には得体の知れない液体が溜まり、肌の色をなくすまで損傷。
私は、溜め息に近い深呼吸をして、ジッパーを元通りに閉じた。
一応、納体袋も警察の備品であるので、私は、遺体を袋ごと納棺して搬出していいものかを警察に確認。
この遺体を一旦袋からだして柩に納めるなんて業は、とてもできるものではないことは警察も察してくれ、結局、代わりの新品袋を置いていくことで決着。
私は、遺体を袋に入れたまま柩に納めた。
故人は中年の男性で、自分で会社を経営。
業種や規模まではわからなかったけど、業績不振に長く苦悩。
生活していくためには廃業もできず、かと言って経営を継続していても業績は悪化していく一方。
八方塞がりの状態のまま、会社は倒産。
そして、あとには男性一人では負いきれない額の負債だけが残った。
あくまで推測の域はでなかったけど、関係者によると、自殺の原因はそれのようだった。
妻子はいたらしかったが、亡くなる少し前から別居。
これにもそれなりの事情があったのだろう、知らせを受けても駆けつけて来ることはなかった・・・
搬送車が向かった先は斎場の霊安室。
遺族の迎えはなく、私は、誰もいない(死人はたくさんいるけど)霊安室に、柩を安置。
故人は、火葬炉の空く適当な時刻に、誰に見送られることもなく〝棺一〟で葬られるらしかった。
これはまた別の仕事。
現場は街から外れた郊外にある一軒家。
亡くなったのは中年の男性で、焼身自殺だった。
現場の家では、故人の妻であろう中年女性が出迎えでくれた。
家の中にも人の気配があり、多分、子供がいるものと思われた。
意識してかしなくてか、女性の顔に悲嘆の色はなく、サバサバとした様子。
まるで、客間にでも通すかのように、私を現場となったガレージに案内した。
そして、片隅の不自然な焦げと汚れに向かって指を差した・・・
故人は、自分で小さな事業を営んでいた。
それを裏付けるかのように、表札には個人名と法人名が併記。
一時期は業績も好調で、〝左団扇〟とまではいかないまでも、それなりに余裕のある生活ができていた。
しかし、それも過ぎてみると短かいもの。
業界全体の低迷に故人の事業も飲み込まれ、苦しい時が続いた。
そして、辛抱の甲斐なく倒産・廃業・・・故人は、仕事を変えることを余儀なくされてしまった。
長い間その業界に身を置き、独立してからも同業一筋にやってきた故人は、異業種に通用する程の技能らしい技能も経験らしい経験もなく。
更には、若くない年齢も足を引っ張り、勤めにでたくても雇ってくれるところは見つからず。
日雇のアルバイトで食いつないではいたものの、社会はプライドを持ち続けることを許してくれなかった。
晩年は、故人と家族の間に喧嘩や争いが絶えず、その関係はかなり険悪なものに。
そして、決行の数日前に妻子は家を出て行ったのであった。
女性が指差した先を見ると、下地コンクリートに液体シミとスス汚れ。
そことつながった建物の一部も黒く焦げていた。
そこは、故人が、自身を焼いて亡くなった場所。
ただ、既に、女性の手で一通りの清掃がなされており、汚れのレベルはライト級。
また、屋外ということもあって、特段のニオイもなし。
原状回復は外壁工事と下地,コンクリートの処理が主になりそうで、その程度のことなら普通の工務店で事足りると思われた。
しかし、女性には女性なりての事情があった。
一般の工務店に問い合わせたところ、露骨に断られ・・・
地域の工務店には、地縁のしがらみがあって頼みづらい・・・
そういう訳で、私が呼ばれたのだった。
今の時勢では、働きたくても働けない人が大勢いる。
仕事を求めても仕事にありつけない多くの人がいる。
〝やる気はあのに能力がない〟
〝根性はあるのに技能がない〟
〝年はとっているのに経験がない〟
そう言ってしまえばそれまでだが、仕事の有無は生活に直結する死活問題。
ただ、経営者・事業家と従業員・サラリーマンとでは、仕事を失うことの意味が少し違う。
事業に失敗するのと単なる失業とでは、その負荷に違いがあるのだ。
サラリーマンが再起を図ろうとすると、ゼロからスタートできる。
損があっても、せいぜい賃金の遅延や退職金の不払いくらい。
しかし、自営業者の再起はマイナススタート・・・
一般的な中小零細企業や個人事業には、買掛金や借入金などの負債はつきもの。
だから、商売に失敗すると〝負債〟と言う重い荷物が残るのだ。
それが返済できる程度の金額ならまだしも、一般的な生涯賃金の何倍もの額であることも珍しくない。
そうなると、もうお手上げ。
破産するしかなくなる。
規模の大小・法人個人・業種の違いはあれど、私にも事業を経営している知人が何人かいる。
そんな人達の話を聞くと、現実のシビアさがヒシヒシと伝わってくる。
肉体労働はサラリーマンと同じく一日数時間かもしれないけど、頭脳労働・精神労働はその何倍。
人によっては寝てる間の夢でも仕事のことを考えたりして、24時間365日休まずに働いているのではないかと思うような人もいる。
また、中には、
「事業に失敗するということは、社会的な死だけでなく本当の死を意味する・・・命がけだよ」
と言っている人もいる。
そのストレスとプレッシャーは、計り知れない。
商心・焦心・小心・傷心・衝心・・・その時々で心は変化する。
そんな中で、ハイリターンを夢見てハイリスクな道を進むのか、ローリターンに妥協してローリスクな道を進むのか、それは人それぞれ。
〝正しい道〟なんて、後にも先にもわかるはずはない。
ただ、苦悩と葛藤のない道はないだろう。
しかし、どんな道にあっても人生の正真を捨ててはいけない。見失ってはいけない。
鰻屋の店先に漂う香ばしい匂いに
「あ~・・・いい匂い・・・」
と、雑念なく素直に笑う・・・
そんな瞬間に、生きることの正真があったりするのかもしれない。