特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2008年分
特殊清掃「戦う男たち」
天災
嬉しいとき、悲しいとき・・・
誰しも、一度や二度は天を仰いだことがあるだろう。
そして、それに癒され・慰められ・励まされ・支えられた経験はないだろうか。
すべてを包む天は、多くの恵みをもたらす。
計り知れない恩恵を与えてくれる。
しかしまた、天は人に災いをもたらすことがある。
異常気象の一つだろうか、今年は恵みの雨が災いに転じるケースが多いような気がする。
そう、〝ゲリラ豪雨〟だ。
ニュースでも知られているように、もう何人もの人がそれで命を落としている。
急に空が曇りだしたかと思ったらピカッピカッと光りだす。
そのうちゴロゴロと雷が鳴りだし、そうこうしてる間にバケツをひっくり返したような雨が落ちてくる・・・
急な通り雨は、何も今年に限ったことではないけど、今年のその降り方は別格だ。
また海川の事故も、例年通りに発生している。
海や川は、泳ぎが達者な人でも溺れることがあるから油断できない。
日によっては、一日に数人の人が亡くなることもある。
今までに、何度も溺死体を処置してきたけど、その様は悼ましいかぎり。
とりすがる遺族には声の掛けようがなく、ただただ落ち着くのを待つしかない。
そんな遺族は、どの人も天から真っ逆さまに転落したような鎮痛の面持ちになっている。
子供達の夏休みはもう少し続く。
長い夏休みはついついハメを外しがちになりそうだけど、ケガや事故がないようにくれぐれも気をつけてほしい。
盆休みも終わって、また今日から仕事という人も多いのだろうか。
私の周りにも、まるまる一週間、またはそれ以上の連休をとった人が少なくない。
長期休暇の後の職場は鬱々とした雰囲気かもしれないけど、楽しいひと時を事故なく過ごせ、無事に仕事を再開できたことを喜んでもいいのかもしれない。
「夏休みはないの?」
一種の挨拶がわりなのかもしれないけど、何人かの知り合いから毎年わかりきった質問をされる。
もちろん?私に夏休みなんてない。
社会人になってからこのかた、〝夏休み〟なるものをとった記憶がない。
それどころか、夏場は、週休一日も不可能。
普通に夏休みがとれる人達を「羨ましくない」と言えば嘘になるけど、私には私の人生がある。
日々の生活に困らないだけの糧を与えてくれる仕事に感謝しなければならない。
ただ、他人が羨ましくて休みがほしいのではなく、身体の疲れをとるために休みが欲しい。
海川で泳ぐ以前に、世間を泳ぐことにアップアップしてるもので・・・
マンションの管理会社から現地調査の依頼が入った。
担当者は、何から話してよいものやら考えあぐねている様子で一呼吸。
それから、その込み入った事情をしどろもどろになりながら説明。
まったくの素人が聞いたらチンプンカンプンだったかもしれないけど、私には担当者の言いたいことを容易に察することができ、現場の状況が手に取るように理解できた。
現場を取り巻く状況はこうだった・・・
現場は低層小規模の分譲マンション。
亡くなったのは上階に住む初老の男性。
一人暮しの孤独死。
死後二週間でヒドく腐乱。
遺体は警察が回収していったものの、その後には凄まじい痕が残留。
玄関ドアの隙間から漏れ出す悪臭と這い出るウジに隣近所の住民は閉口。
大至急、何らかの処置を行うことが迫られていた。
しかし、そこに問題が一つ二つ。
故人に身内の影はなく、法的な義務権利継承者も見当たらず。
賃貸マンションならまだしも、分譲マンションの場合、法定相続人を差し置いて手を出すと後々にトラブルが起きるリスクがある。
したがって、警察の立ち入り許可はでていたものの、誰もが、部屋に立ち入ることに二の足を踏んでいた。
更に、問題はそれだけではなかった。
同じ間取りで真下に位置する下階に、腐敗液が滲み出していたのだ。
木造アパートでは腐敗液が下の部屋に染み出すことは珍しいことではない。
しかし、鉄筋の入った部厚いコンクリートを腐敗液が滲み通るケースは稀で、普通の人にはなかなかイメージできないはず。
かつての私もそうで、同様のケースに初めて遭遇したときは驚き、「まさか!」「何かの間違いじゃない?」と、現場を見るまではまったく信じられなかった。
ただ、これは、建物に欠陥や建築工事に手抜があるわけではない。
たまたま悪い条件が重なることによって起こるのだ。
どちらにしろ、そんなケースは状況としてかなり深刻。
作業が困難であると同時に、原状回復にも相当の手間と費用がかかってくる。
場合によっては、工場費用にとどまらず、家財の弁償・外泊費用・引っ越し費用まで請求されることがある。
こうなると、残った義務者は大変。
故人の死を悼む余裕もなくなってしまう。
私は、約束の時間に遅れず現場に出向いた。
不動産会社の担当者は私より先に来ていて、落ち着かない様子でペコリ。
電話で話を詰めていた我々は、挨拶もそこそこに本題を進めた。
「お待たせしました」
「早速、部屋を見てもらえますか?」
「はい・・・その前に、下の部屋を見せていただけますか?」
「はぁ・・・」
「ニオイの問題がありますので・・・」
「???・・・」
腐乱死体現場の場合、瞬時に〝PERSONS〟が付着してくる。
身体が腐乱臭を纏うのだ。
だから、私が下の部屋に行くときはおのずと〝ヤツ〟もついて来る。
しかし、そんなモノを連れて入られては、そこの住人もたまったものではない。
私は、そのトラブルを避けるために下の部屋へ先に訪問することを促したのだが、担当者は、その意図がわかっていないようだった。
下の階の部屋には、中年の女性がいた。
我々の到着を心待ちにしていたようで、玄関を開けるなりテンションを上げて手招き。
人様に気味悪がられることが日常茶飯事の私は、そこまでの歓迎を受けることはなかなかないので、女性一家の災難をよそにちょっと嬉しいような・・・そんな気持ちが申し訳ないような気分だった。
それから、促されるままに中に上がり、女性の指し示す方向に視線をやった。
「あら゛ら゛・・・」
天井の一部には不自然な黒ずみ。
それが壁面につながり、縦長に下降。
椅子に乗って顔を近づけてみると、それは明らかに腐敗液だった。
「これは、間違いないですねぇ・・・」
私がコメントするまでもなく、担当者も女性もそれとわかっていた。
私はただ、それに念を押すにとどまり、それ以上のアドバイスを思いつかなかった。
女性一家にとっては、それはまさに災難。
ただの漏水でも大きな問題なのに、腐乱死体の腐敗液が漏れてきたわけだから落ち着いていられるはずはない。
しかし、逃げ出したくても、自宅はそう簡単に捨てられるものではないし、何の計画もないところで、いきなり引っ越しなんかできる訳もない。
一時的にホテルに避難するにも、それなりの費用がかかる。
仮に、引っ越せたとしても当マンションを売却するのは至難。
そう簡単に買い手がつくとは思えないし、買い手がついたとしても、安値で買い叩かれることは目に見えている。
まったく、「気の毒」の一言に尽きるケースだった。
しばらくすると、故人の関係者が見つかった。
故人の姉とその夫だった。
それで、事後処理が大きく前進するものと、周囲は期待した。
しかし、事はそう簡単ではなかった。
「もう何十年も付き合いがなかった」
「急に後始末を要求されても困る」
「相続を放棄して、あとのこと関わるつもりはない」
故人の姉は、マンション側にその旨を伝え、以後の関わりを拒否。
結果として、身内の存在が問題解決に貢献することはなかった。
その身内を「無責任!」「冷酷!」「不道徳!」と非難することは簡単。
しかし、断腸の思いで決断したことかもしれず、マンション側の苦難も気の毒でありながらも、遺族の立場を思えばその決断も理解できなくはなかった。
結局、天井裏の処理費用はマンションの管理費から支出され、天井・壁の改修工事・消臭消毒費用は住人が負担することに。
〝故人宅は?〟と言うと、厳重な目張りをして放置するしかなかった。
故人の孤独死は、周りの人に重大な心労を負わせた。
そして、女性一家とマンション管理組合に多大な出費を負わせ、女性宅の資産価値を落とした。
それどころか、マンション全体の資産価値を落とす可能性も大きかった。
「亡くなった本人が悪いわけでも、遺族が悪いわけでもないことはわかりますけど・・・だからと言ってうちがね・・・誰だって先のことはわからないものですから、天災に遭ったと思うようにするしかないですね・・・」
〝死〟は他人事ではない・・・それに気づいたのだろうか、こんな災難に遭っても女性は故人のことを悪く言うことはなかった。
そして、それは、人生の行く先に何が起こるかなんて誰にもわからないことと、どんな災いの中にも必ず恵みがあることを私に気づかせてくれ、心地よい緊張感を与えてくれたのだった。