特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2008年分
特殊清掃「戦う男たち」
良薬
〝百薬の長〟
言わずと知れたことだが、私の好物である酒を指した言葉。
酒は、適量をきちんと守れば薬効が期待できるものらしい。
〝全く飲まないよりも適量を飲む方が身体にいい〟という説もある。
飲兵衛にとっては、Happy&Welcomeな話だ。
飲兵衛は、〝飲み過ぎは身体に悪い〟とはわかっていても、「量を飲まなければ平気」等と言い訳にならない言い訳をする。
更には、「ワインや蒸留酒は健康に効くから、いくらでも飲んでも身体にいい」なんて、根拠のない理屈をつける。
かく言う私も、昨年の今頃は、毎日の晩酌が欠かせず、ビールやチューハイを中心に大量の酒をあおっていた。
1日の最低量は1リットル。
それでも、身体と財布のことを考えての制限量。
ハードな現場をやった日などは、労働の報いとして、それ以上の量をグイグイやっていた。
それがまた格別に美味くて、翌朝の倦怠感と不快感を引き換えにしてまでもやめられなかった。
そんな具合で、意志の弱い私はもう何年も酒の量を減らすことができないでいる。
しかし、そんな私でも今までに何度か、禁酒・節酒が叶ったことがある。
体調を崩したときだ。
そうでもない限り、私は酒をやめることができなかったのだ。
そして、今が、まさにそう。
6月末に体調を崩したのを境に、日常的な飲酒がストップ。
人との付き合いで外で飲むことはあっても、自宅で飲むことはほとんどなくなった。
元気なうちは誰の忠告にも耳を貸さず、少々の体調不良なんか何のその。
「我慢したって長生きできる保証はない」とばかりに開き直り。
そんな強気も、体調が崩れれば一変。
弱い心身には小さな苦しみでもかなりこたえ、いきなり気が弱くなる。
そして、後悔と改心の念が怒涛のように押し寄せてくる。
この様に、身に受ける困難・苦難・艱難は、弱い人間にとって良薬になることがままある。
しかし、苦味が喉元を過ぎ時間が経過すると、良薬の記憶は薄まっていく。
そしてまた、何も省みない元の状態に戻る。
悲しいかな、人間ってそんなもの。
同じ過ち・・・悔い改めと堕落を何度も繰り返す。
そして、ある時、そんな不甲斐ない自分を見ては落胆し・卑下し・嫌悪するものなのである。
では、そんな人間は、人として一寸の成長も一歩の前進もないのだろうか。
いや、そんなことはない。
三歩進んで二歩下がりながらも、確実に一歩は前進している。
それは、子供の成長にも似ている。
一日一日では、外見も内面も成長を感じることはない。
しかし、10年経てば10歳になり、20年経てば大人になっている。
日々の成長は目に見えないけど、いつの間にか、自然に成長しているのである。
人が人として成長することも、これと似たようなものだと思う。
苦しみ・悩み・悲しみの中にあって、何の進歩もないように思えるときでも、生きている限り人は成長しているのだと思う。
後悔と改心と堕落の繰り返しは、決して無意味なことではない。
〝良薬、口に苦し〟
後に、それが良薬だったことに気づくことができれば幸せ、気づかなくても不幸ではないのである。
亡くなった故人は、老年の男性。
長寿の末の安らかな最期。
その死顔は無表情で、この世での戦いを終えた者にしか与えられない力みのないものだった。
そんなに広い家でもないのに、故人宅にはたくさんの親類縁者が集合。
その中の床の間に、故人は安置されていた。
着せ替える着物は白い死装束ではなく、一張羅の羽織着物。
遺族がそれを希望。
洋服に比べて和服は着せ替え易いし、手間も死装束を着せる場合とほとんど変わらないので、すぐに承諾した。
ただ、腕の注射痕に問題あり。
血管に開いた小さな穴から、生きている人だったらとっくに失血死しているだろうと思われるほど大量の出血があったのだ。
そして、ワインレッドに染まる浴衣とシーツを前にして、遺族は当惑していた。
それを止めるには荒技を使うしかなく、しかし、部屋にごった返す人達を退席させられるほどのスペース的余裕はその家にはなく・・・
私は、遺族に了承してもらった上で、自分自身の身体を故人と遺族の間の壁にしながら止血作業を行った。
しかし、好奇心を抑えきれずに脇から覗き込んでくる人の視線まで防ぐことはできなかった。
腕の出血をはじめ、血色のない顔・病院の浴衣・無精髭・髪の毛の寝グセ・・・
それら一つ一つが、もう故人の身体には魂がないことを強く感じさせていた。
それが、着替・剃髭・整髪・薄化粧が終わり、生前の故人と変わりないくらいになると、遺族は「生きてるみたい!」と喜んでくれた。
しかし、そんな錯覚ができるのも束の間。
息もなく微動だにしない故人に、生を見いだすことができる訳もなく。
一瞬の錯覚も虚しく、遺族は故人の死を受け入れるほかはなかった。
そして、それもまた、故人の死を受け入れるために必要なプロセスだった。
黙って作業をすすめていると、遺族同士の会話が自然と耳に入ってきた。
そして、その話からは、故人を取り巻く家族模様を伺い知ることができた。
故人の傍らには、老婆が一人・・・
小さくなった身体を正座させ、静かに故人の顔を見つめ、気のせいか穏やかに笑みを浮かべているようにも見え・・・
この女性は故人の妻だった。
その他に、40~50代くらいの男女が二人ずつと30代半ばくらいの女性が一人。
それぞれが故人の息子・娘のようだった。
男性は神妙な顔、女性は泣き顔・・・
その中でも、30代?女性が一際悲嘆に暮れ、泣きはらした顔を更に涙で濡らしていた。
その女性は5人兄弟姉妹の末っ子で、故人が50代になってからの子供。
上の兄姉とは10以上も歳が離れていた。
不意なことではあったけど、娘を授かった故人はその誕生をとても喜んだ。
そして、その可愛がりようは半端ではなく、その姿は微笑ましいものだった。
しかし、幸せいっぱいの故人にも不安がないわけではなかった。
一般的に、当時の故人は、孫ができてもおかしくない年齢で、新たに子育てをスタートする歳ではなく・・・
また、体力の衰えや身体の不調も頻繁に感じられるようになり・・・
そんな中で、「子供を一人前な育て上げることができるだろうか・・・」と、故人は苦悩を抱えるようになった。
それまでの故人は、〝我慢して長生きするより、長生きできなくても好きなことをしていたい〟という価値観のもとで、健康の〝け〟の字も気にかけることなく自由奔放にやっていた。
また、下戸を相手に「酒が飲めないなんて、人生を半分損してる」等と豪語。
その故人が、一念発起。
「末娘が一人前に育つまでは、何か何でも元気でいないと!」
と、まるで人が変わったかのよう健康管理に気を使うようになり、好きだった酒もやめた。
その代わりに、人が勧められるサプリメントを飲むようになり、それは晩年まで続いた。
普通に考えると、そんな禁欲生活は苦痛のように思えるけど、周りから見ても故人はストレスを抱えているようには見えず。
それどころか、それまでよりもずっと健康的で若々しい雰囲気に。
娘のためにやることが自分のためにもなり、自分のためになることが娘のためにもなり・・・
その結果として、故人は健康と長寿を得たのだった。
作業の終盤、人生をまっとうした故人の柩を家族が取り囲んだ。
そして、その柩には、故人の息子・娘達の手で愛用のサプリメントと紙パックの酒が涙と共に納められた。
それから、故人の妻が、目を閉じる故人の顔の側に古い家族写真をそっと置いた。
故人にとって家族は最愛のものであり、最良の薬であった・・・
それを証しするように、老婆は、故人の無表情の中に見える笑顔に自分の笑顔を重ねて涙を落としたのだった。