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特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2008年分

特殊清掃「戦う男たち」

和解の距離

「かなりヒドいみたいで・・・こんなお願いして申し訳ありません・・・」
依頼者の話は、必要のない謝罪から始まった。

電話をしてきたのは中年の女性。
亡くなったのは女性の母親。
亡くなってから発見されるまで一年近くが経過しており、警察署の霊安室で女性が確認した遺体は完全に白骨化。
警察からは、部屋がヒドい状況であることと部屋の中は見ない方がいいことを伝えられていた。
また、見せられた遺体の状態から、部屋が劣悪な状態になっていることは素人ながらも想像できているようだった。

私がそれまでに遭遇していた腐乱死体現場は数知れず。
されど、さすがに〝一年もの〟はそんなに多くなく。
私は、ちょっとした好奇心を抱いて現場に出向いた。

現場は、郊外の超老朽・狭小・賃貸一戸建。
周囲の環境には、〝放置一年〟を納得させるくらいの閉塞感が滞留。
私は、寒々しいものを感じながら、鍵のかかっていない玄関扉を開けた。

まず始めは、仕事のポイントである腐乱痕探し。
そう広くない間取りに、腐乱痕を見つけるのには時間はかからず。
ベッドのある和室、押入の敷居には半円形の頭髪が半円が貼り付き、畳には身体のラインがクッキリ。
故人は押入に頭を突っ込むように倒れ、そのまま息絶えたようだった。

黒く広がる腐敗液は、半乾き状態。一部、粉状。
溶けた身体はウジが食い、残りは畳が吸収。
床板まで侵されていることは明白だった。

大量に発生していたであろうウジ・ハエもとっくに独り立ちしていったとみえて、その姿はなく。
蛹の殻ばかりが周辺の床を埋め尽くしていた。

家財・生活用品は少量で、家電や家具は小型のものばかり。
しかも、わりと新しくてきれいなものが多く、腐乱痕と臭い以外に特段の問題は見受けられず。
まるで、時間が止まったかのように、故人が生きていた頃そのままの状態。
勝手に上がり込んでいることについて言い訳したくなるような住人の存在感がまだ残っていた。

一通りの調査を終えた私は、玄関前から女性に電話。
部屋の状態をリアルに伝えると女性はますます恐縮しそうだったので、実際は〝やや重〟だったところを〝並〟と報告。
それでも、女性は、申し訳なさそうに詫びてきた。
それから、事の経緯を話してくれた。

依頼者の女性は、幼い子供を抱えた母子家庭。
その生活は、経済的にも肉体的にも精神的にも余裕なく。
そんな折、生活コストと家事労働を合理化するため、長く独り暮らしをしていた母親(故人)と同居する話が浮上。

父親の役割も担いながらテンテコ舞いの毎日を送っている女性にとっては、母親が同居して食事の支度・掃除・洗濯・買い物etc、ちょっとした家事を手伝ってくれれば大助かり。
また、子供の面倒もみてもらえれば外での仕事がしやすくなり、それまでの負担が一気に解決。
一方、加齢とともに身体が衰えてきた故人にとっては、娘(女性)が同居して食事の支度・掃除・洗濯・買い物etc、ちょっとした家事を手伝ってくれれば大助かり。
また、自分のことも気にかけてもらえれば安心だし、それまでの不安が一気に解決。

二人は実の母娘だから、嫁姑のような気遣いも無用。
余計な遠慮もいらず、お互いに窮屈なく暮らせる。
明るいシュミレーションに二人は意気投合し、話はトントン拍子に進行。
そうして、同居生活はスタートした。

それからしばし・・・時間の経過とともに厳しい現実が忍び寄ってきた。
一致したつもりでいたお互いの利害はズレ始め、次第に相反するように。
遠慮のない自己主張は、抑えきれないストレスを生み、いがみ合いを誘因。
そのうち、小競り合いが頻発するようになり、双方、売り言葉に買い言葉で対抗。
その挙げ句、言ってはならない痛烈な一言をぶつけ合うように。
そんな生活に嫌気がさしてきた二人は、どちらが言い出したわけでもなく、同居生活を解消すること検討。
その結果、もとの別居生活に戻ることで、勝者のない争いに決着をつけることになった。

血のつながった親子であっても、その価値観や生活スタイルは個々のもの。
お互いに自立した大人である以上は、相手に押しつけていいものではないし、押しつけられるべきものでもない。
それぞれがそれぞれに尊重されていいと思う。
しかし、二人はそれができなかったのだった。

生活を分けてからの二人は極端に疎遠に。
お互いの存在を無視するかのように、一切の関わりを断絶。
〝音沙汰ないのは達者な証拠〟とばかりに、女性は、故人(母)のことを気にかけることなく自分の生活に没頭した。
それからしばらくの時が経ち、身も震えるような訃報が入ってきたのだった・・・

「最初から、同居なんかしなければよかったのかもしれません・・・」
「こんなことになるんだったら、仲直りしておけばよかった・・・」
その口調からは、苦悶に顔を歪める女性が想像された。
同時に、女性が自分を嫌悪し・責めていることも感じ取れた。

人付き合いが苦手な性格もあってか、私は、人間関係は、密接であるほどいいというものではないと思っている。
人間・・・その字のごとく、人と人との関係には〝間〟・・・つまり、自己中心的・利己的な性質をもつ人間が、人とうまくやっていくには、緩衝帯としての〝適度な距離〟が必要。
人に対して熱くなった頭を冷やすため、人に対して冷たくなった心を温めるため、人間関係には適切な距離が大切なのだ。

では、〝適度な距離〟とは?
離れていると相手の顔も表情もわからない。
かと言って、近いと見えなくてもいいものが見えてしまうし、見せない方がいいものを見せることになる。
離れていると手はつなげない。
かと言って、近いと痛いパンチが当たってしまう。
離れていると声がよく聞こえない。
かと言って、近いと聞こえなくていい雑音まで聞こえてくる。
・・・ま、これを測るのは簡単なことではない。

時には、自分と距離を空けることも必要。
嫌な自分に執着していると、自分の短所ばかりが目立って見える。
短所ばかり見ていると、自分がダメな人間にしか思えなくなってくる。
人は、自分に対して適度な距離をとってこそ長所が見える。
ただ、それは、過度に密着しているとボヤケてしか見えないし、過度に離れていると小さくしか見えない。
本当は、大きくハッキリしたものなのに。
だからこそ、近過ぎも遠過ぎもしない適度な距離が大切なのだ。

また、距離を保つだけでは不充分。
何かあったときにはすぐ和解することも大切。
人に対しても、自分に対しても。
人は、時間の限られた存在だから、モタモタしてる隙はない。
それには、まず〝赦す〟気持ちが大切。
実は、これは人間にとって極めて難しい。
自分を赦すことは、自分を甘やかすこと・自分を誤魔化すこと・自分を迎合すること・自分に妥協すること・自分から逃げることとは違う、もっと高いレベルの自律(自立)思考。
人生の足取りが重いのは、いつまでも自分を赦さないことの足枷が付いているから。
また、理由もなく心に苛立ちを覚えるのは、自分と敵対しているせいだったりする。
そんな状態は、死に体を引きずって生きているようなもの。
たまには、積極的に自分を赦し・自分と和解して身軽になることが必要だ。
明日への一歩を大きく踏み出すために。

依頼者の女性は、離れすぎた故人との距離を埋めることができただろうか・・・
自分を赦し、自分と和解できただろうか・・・
ただ、女性も子を持つ身。
母親の気持ちがわからないではないはず。
だから、今はもう、懐かしい想い出と共に新しい自分を手に入れていることだろう。

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