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特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2008年分

特殊清掃「戦う男たち」

大切なもの

なんだかバツが悪い。
いい雰囲気でサヨナラしてもらってるのに、未練たらしく首を振ってるみたいで・・・
このまま終わっとかないとシラケてしまいそうな感もあるが、Christmasに免じて赦してもらおう。

「以前、お世話になった者ですが・・・」
現場の場所と依頼者の名前を聞くと、その記憶はすぐに蘇ってきた。
そして、真っ先に家主の顔が頭に浮かんできた。

「再度、店の片付けをお願いしたいと思いまして・・・」
もっと先のことになると思っていた私は、意外に早かった依頼に少し驚いた。
同時に、それは暗に家主の死を示しており、私は過日の家主を思い出して深い感慨を覚えた。

それは、数ヶ月のこと。
現場は、街中の小さな一軒家。
かなり古い建物で、一階が店舗、二階が住居になっていた。
依頼された仕事は、その旧店舗スペースに残るガラクタの処分。
依頼者は、三人の中年男性、家の息子達。
店舗だったスペースをリフォームすることにしたため、部屋に残る不要品を片付けることにしたのだった。

その昔、そこは床屋。
家主夫婦・・・男性達の両親が営んでいた。
廃業したのは10年余前で、家主が働き盛りの頃は活気に溢れた店だったとのこと。

全ての人ががむしゃらに働いていた時代。
二人は、二人三脚で店を切り盛り。
その功もあって、地元客を中心に客足は安定。
平凡な暮らしながらも、三人の子供を一人前に育てるには十分な糧となった。
しかし、息子達が成人し、老後をのんびり暮らそうとした矢先、商売に陰りが見え始めた。
構造改革と規制緩和の波が、理容業界にも押し寄せてきたのだ。
周辺には、低料金を唱う新規店が次々と開店。
折からの不景気も相まって、客は新しい店に流れていった。
更に、追い討ちをかけるように、妻が体調を崩し、店に立つことが困難に。
それでも家主は営業を継続。
孤軍奮闘をしばらく続けだが、それで満足のいくサービスが提供できるはずもなく。
ただでさえ少なくなっていた客は更に減っていった。

廃業のきっかけは、妻の死。
厳しくなっていく一方の商売環境に耐えながら、一人細々と営業を続けていた故人だったが、これに耐える力はなく・・・
惜しむ客もなく、反対する家族もなく、何十年にも渡って開けられていた店は、ひっそりと閉店したのだった。

長年、仕事一筋に生きてきた故人。
当然、店を閉めてからの生活は一変。
有り余る時間と重くなる一方の身体を持て余すように。
肉体的に楽な暮らしが、精神的にはキツく・・・そんな生活の中で、家主の精神力と体力は衰えていくばかり。
そのうち、小さな入退院を繰り返すようになり、息子達は「一人暮らしをさせておくのは危険」と判断。
身内が交代で半同居するために、一階をリフォームすることにしたのだった。

店の扉を開けると、そこには、タイムスリップしたような空間があった。
鏡・シャンプー台・スチーマー・油圧椅子etc
年代物のそれらはどれも古ぼけて汚れていたけど、現役で働いていた頃を思い起こさせる風情を持っていた。
ただ、このスペースが再び床屋として息を吹き返すなんてないことは誰の目にも明らかだった。

作業を開始して直後、嫁らしき女性に付き添われて家主がやってきた。
一人では歩行することも困難らしく、片手を杖・片腕を女性に支えられながらゆっくり歩いてきた。

「何やってるんだ!」
と、いきなりの怒鳴り声。
見ると、家主は、険しい表情でこちらを睨みつけていた。
それに驚いた私は、身の動きを停止。
硬直させた身体に首だけ動かして、男性達と家主の顔を見比べるように視線を往復させた。

「人の家で、何を勝手なことしてるんだ!」
「はぁ?」
「俺の物を勝手に捨てるな!」
「店を片付けるって言ってあったはずだろ!?」
「掃除するだけだって言ってただろ!」
「そうは言ってないだろ!」
「とにかく、出した物を戻せ!捨てる物なんかないんだから!」
単なる行き違いか、男性達(息子達)の策略か、家主の了承をとらないで片付けは段取られたよう。
間に挟まれた私は、どちらの言うことを聞くべきか判断できずキョロキョロと困惑した。

「こんな物、いつまでもとっておいたってゴミになるだけだろ!」
「何がゴミだ!」
「親父が死んだら、どうせ俺達が片付けなきゃならないんだから!」
「生きてるうちから殺してかかるのか!」
「誰もそんなこと言ってないだろ!」
「だったら、俺が死ぬまで黙って待ってろ!」
「なにおー!?」
家主は、よろめく身体を杖で支えながら、渾身の力を振り絞って声を張り上げた。
そのうち、口論は激しさを増し、近所の人も出てくるくらいに派手な喧嘩になった。
しかし、多勢に無勢。
三人の息子を相手に老体一人ではなす術なし。
吠えるだけ吠えると、今度は泣きそうになってしゃがみ込んでしまった。

その様子に、息子達も気マズそうに消沈。
意志を曲げない家主に対して息子達は折れるしかなく、結局、片付作業は中止することに。
運び出した物を再び店に戻して事は決着。
そして、平身低頭に謝る男性達を「気になさらないで下さい」とフォローしながら、私は現場を後にしたのであった。

故人にとって、愛用の理容道具はとても大切なものだったのだろう。
また、故人が大切にしたかったのは、理容道具そのものだけではなく、それにまつわる思い出であり家族であり懸けた人生だったのだろうと思う。
そして、理容道具を処分してしまうとそれらをも失ってしまうような気がしたのかもしれない・・・
その心情を想い、家主が大切にしたかったものに共感を覚える私だった。

儚い人生だからこそ、人には、大切にしなければならないものがたくさんある。
自分が思いつくものは何?
家族・健康・仕事・友達・金・プライド・信念etc・・・頭には、色んなものが映るだろう。
ただ、やはり、大切なものの中心にあるは〝自分〟ではないかと思う。
人は、自分を大切にしなければならないと思う。

では、〝自分を大切にする〟とはどういうことか。
それは、自分を甘やかしたり自分に楽させたり、利己主義に走ることではない。
悪に開き直って妥協・迎合することでも、虚栄に従って傲慢・高慢な思いに浸ることでもない。
また、人を大切にしないことでもない。
しいて言うなら、〝自分を好きになる〟ということ。
嫌いなものは大切にできないから。

しかし、〝自分を大切に思いながらも自分を好きになれない〟なんてことはないだろうか。
容姿・性格・癖・能力etc、自分の嫌いなところがたくさんないだろうか。
「自分の短所を嘆くよりも長所を伸ばした方がいい」なんてことはわかっている。
しかし、目につくのは短所ばかり。
長所なんて、探してもなかなか見つけられない。
人に好かれるためには結構な神経を使うくせに、自分を好きになるための努力はほとんどしない・・・
そんな人、多くない?

では、自分を好きになるためには何が必要だろうか。
自分が、自分の長所への視力を持たないからには、短所を見るしかない。
自分の嫌いな所をジッと見つめてみる。
ただ、それだけ。

短所を長所に切り替えるなんてことは、並の人間には不可能。
容姿も性格も、自力で変えることはできない。
仮に、変えられたとしても、それは一時的な錯覚。
本性は変わらない。
しかし、自分の悪い所や嫌いな所を見るくらいのことならできる。
でも、イヤな自分を見て落ち込む必要はない。
待ってれば、本来の理性と良心がくすぶりだし、わずかでも自省と自制と自律が促され、その気持ちに後押しされて、ちょっとだけ自分を好きになれるから。
そして、そんな自分を大切にするだけで、人生は温かく光るのだから。

空っぽになった店に佇むサエない男一人。
身体はくたびれ、衣服は汚れ、何かを想う表情に精気はなく・・・
その姿は、気の毒なほどみすぼらしいもの。
しかし、それが、少しだけ好きになれる自分であり、大切にしなければならない自分。

最後、薄汚れた鏡にホコリで汚れた笑顔を残し、閉店の扉を閉めた私だった。

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