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特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2009年分

特殊清掃「戦う男たち」

Heart Work

「2009謹賀新年!」
と、新年初回のブログを元気にいきたいところだったのだが、実のところ、今朝はこの冬一番の鬱に見舞われてしまった私。
でもって、新年早々、ネガティブビームを発射しながらのブログ更新。

この原因を突き止めようともがいたところで、何かが改善するわけでもなし・・・
また、身の役割と負う責任は、いつになるかわからない心の夜明けを待ってはくれないし・・・
とにかく、カーテンの向こうが明るくなるのを見計らって布団を這い出たのだった。

新しい年が始まり、今日が仕事始めの人も多かったのではないだろうか。
ところで、12月28日~1月4日、9連休の後の仕事ってどんな気分になるのだろう。
持て余した時間がやっと過ぎて、気分も新たに意欲満々?
それとも、再び始まる過酷なサバイバルを想って疲労鬱々?
私だったら後者。
酷い鬱状態になること間違いなし!
それどころか、休み明けの鬱状態が恐ろしくて休み中から意気消沈するのだろうと思う・・・
〝よくないこと〟とわかりつつも、多分、私は自分の仕事が嫌いだなんだろう・・・

そんな私の仕事。
今までに紹介した通り、死体業には色々な業務がある。
そのどれもが、土日祝祭日も昼夜も関係なく、突然入ってくる。
そして、迅速な対応が求められるケースも多い。
その最たるモノが遺体搬送業務。
通常は、入電から30分以内・・・遅くとも一時間以内に病院に到着する必要がある。
当社の場合は、遺体搬送が専業ではない〝総合死体業〟(←My造語)なので、そんな縛りのキツい仕事はできないけど、それでも〝いざ出動〟となると大慌てで支度を整える。
そして、怠け者の心がついて来なくても、とにかく、身体だけは走らせる。
そんな仕事なのだ。

ある日の早朝、その遺体搬送業務が入った。
眠りの浅い私の脳は、すぐに状況を理解。
必要事項をメモにとって、大急ぎで出動準備。
そして、誰もいない早朝の街に飛び出していった。

冬場だと、寒いし暗いし、鬱々とした気分を引きずっていくパターンなのだが、その時の季節は夏。
明るい空と心地よい涼しさが、重くなりがちな気分を軽くしてくれた。
ただ、向かう先にいる人達のことを想うと、足取りまで軽くすることはできなかった。

着いた先は、古い造りの中規模病院。
目立たない場所に搬送車をとめた私は、担当の看護士の案内についてストレッチャーを進行。
そして、看護士が開けた病室のドアを、誰とも目を合わさないように視線を落としてくぐった。

病室にいた家族は、妻らしき中年女性・娘らしき若い女性・息子らしき若い男性の三人。
三人とも泣いてはいなかったけど、その分、場の空気には神妙かつ厳粛な重みがあった。
また、ただの自意識過剰だったのかもしれないけど、〝招かざる客〟といった家族の意志が私を刺しているようにも感じられ、独特の居心地の悪さを覚えた。

ベッドに横たわる故人の顔には、白い面布。
枕元の壁には、その何倍もある大きな紙。
それは、勤務先から送られた激励の寄せ書きだった。

中央には、某大手企業名と肩書のついた故人の名前。
その回りには、多くの人からのメッセージ。
最も目を引いたのは、生前の故人が書いたものであろう文字。
そこには、職場へ復帰する意欲が、短くも力強く綴られていた。
私は、それを複雑な心境で横目に流し、家族の了承のもと顔の面布をめくった。
そして、特段の変異がないかどうかを見るため、故人の顔に自分の顔を少し近づけた。

私は、生気を失った故人に、生体としての異常と遺体としての通常を確認。
骸骨に皮を貼っただけのように痩せて小さくなった顔に、闘病生活の過酷さを想像しながらも、何となくホッとしたような表情を見出した。
そして、単なる先入観かもしれなかったけど、それが私の居心地の悪さを緩和してくれたような気がした。

自宅に到着する頃には、下がりゆく故人の体温を補うかのように気温は上昇。
そして、家族を慰めるかのように、頭上には、きれいな夏空が広がっていた。
しかし、無常もまた自然の摂理。
故人の体温は次第に下がり、死後硬直も発生。
私は、体重の軽くなった故人を用意された布団に安置し、防腐対策のドライアイスを準備した。
そんな一連の作業を、家族は黙って見ていたのだが、故人にドライアイスをのせようとしたところで私に声を掛けてきた。

「冷やさないといけないものなんですか?」
「はい・・・この季節は特に・・・」
「そうなんですか・・・」
「・・・」
「このまま硬くなっちゃうものですか?」
「ええ・・・今はまだ初期段階ですけど・・・」
「(故人の着衣を)後からでも着せ替えられますか?」
「大丈夫ですけど、今のうちの方が着せ替えはしやすいですよ」

そんなやりとりの末、〝苦しみを味わったときの汚れたパジャマじゃ可哀相〟ということになり、故人の着衣を替えることに。
そして、遺族三人は、何を着せるか協議し始めた。

家着・外出着・スーツetc
最期の一着とあって、三人は慎重に思案。
一張羅にすべきか・ラフな服装にすべきか、それぞれにそれぞれの想いがあって、なかなか一つに絞れず。
〝あれがいい〟〝これがいい〟と、しばらくの間、話し合いは続いた。

そうして待つことしばし。
「何を着せたらいいと思いますか?」
なかなか結論が出せない家族は、私にヒントを求めてきた。
後々の遺族心情にまで責任がとれるものなら思い切ったことが言えたのかもしれなかったが、もともと、〝自分が死に体になったときは、素っ裸でいいから、海にでも山にでも放ってほしい〟なんて思っている私に名案が浮かぶわけもなく・・・
結局、私は、〝故人らしい服〟〝故人が気に入っていた服装〟という、無難過ぎる答以外に気の利いた答を出すことができなかった。

結局、何着もあるスーツの中で、故人が一番気に入っていたものに決定。
それは、オーダーメイドでつくった高級品で、故人が〝ここぞ!〟という時にだけ着ていたスーツだった。

通常、スーツ・ワイシャツの着せ替えには結構な手間がかかるものなのだが、故人は極度に痩せていた上に死後硬直もあまかったので、着せ替えは容易に完了。
ただ、痩せ細った身体に元気だった頃の服が合うはずもなく・・・
首周りも胴回りもブカブカで、せっかく正装させても見栄えのいい姿にはならなかった。
それでも、家族は満足げに
「お父さんらしくなった」
「格好よくなった」
「背広にしてよかった・・・お父さん、仕事が好きだったからね」
と喜んでくれた。

勤めていた会社と役職から察するに、生前の故人は、バリバリと仕事をこなすやり手のビジネスマンだったよう。
人が羨むような収入を得、人が妬むような出世コースを歩いていたのかもしれない。
しかし、それに見合うだけの労苦と努力はしたはずだし、順風満帆なことばかりでもなかったはず。
少なくとも、病気が発覚して以降は、苦痛と苦悩の連続だっただろう。

そんな故人は、本当はスーツ(仕事着)なんか着たくなかったかもしれない。
ひょっとしたら、会社も仕事も嫌いだったかもしれない。
その真意は誰にもわからないことだけど、それでも、家族に〝仕事好き〟と思われるくらいに一生懸命に働いていたことは事実。
好きだろうが嫌いだろうが、与えられた仕事を一生懸命やってきた・・・
私は、故人の顔にそんな強さが見えるような気がして、身の引き締まる思いがしたのだった。

私は、偶然より必然を、運より宿命を、可能性より定めを、夢より希望を信じる人間。
自身を取り巻く何もかもに、何かしらの意味がある・・・目的がある・・・
私が、この仕事をやらなければならない理由も、そんなところにあると思っている。

されど、私は、自分の仕事を好きになれない。
過酷だから・・・
惨めだから・・・
悲しいから・・・
その根っこにあるのは、一生懸命にやってないことからくる怠け心と感謝の念に欠ける高慢な心。
仕事が好きになれないのは、本気でやってないから・真剣にやってないから。

この仕事、誰にでもできるものじゃない。
そして、面白おかしくできる仕事でもない。
キツいこと・ツラいこと・ベソかくことetc・・・この一年も酷な事が色々とあるはず。
しかし、かいた汗と流した涙に無駄はない。

今はまだ全然無理だけど、いつの日かこのHard Workを私にしかできないHeart Workにできれば、ようやく私も一人前なのかもしれない。

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