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特殊清掃を扱う専門会社「特殊清掃24時」:特殊清掃「戦う男たち」2009年分

特殊清掃「戦う男たち」

死期を得て

〝バカは風邪をひかない〟と言われることを証すかのように、滅多に風邪をひかない私。
しかし、ひと月くらい前、その風邪をひいて、一週間くらいツラい日々を過ごしたことがあった。
(少しは利口になってきた証拠?)

倦怠感に熱っぽさ、咳に鼻水、下痢に食欲不振・・・身体には、一通りの症状が出現。
放っておけない仕事を抱える身では、寝込むに寝込めず。
三食に栄養ドリンクを足して、酒も控えめに早寝を励行。
そうして、数日がかりで克服。
その日々は、なかなかツラいものだったが、悪いことばかりでもなかった。
健康のありがたさが痛感できたし、日常の健康管理の大切さをあらためて学べたので。

しかし、〝喉元過ぎれば、熱さ忘れる〟・・・
いざ回復してしまうと、健康のありがたさや大切さを覚える気持ちが薄らいでくる。
そのうち、元気に暮らしていることを、当然のこととして気にも留めなくなる。
今が、まさにそう。
学習能力の低さを丸出しにしている。
ま、その辺に、人間の愚かさと可愛さ・・・悲しい人間らしさがあるのだろう。

仕事柄、病よって人生を終える人と出合うことが多い私。
これまでに、憶えきれない・数え切れない人々と出会ってきた。
そして、多くのことを教えられてきた。

その中の一つ・・・
もう、10年以上も前のことになる。
知り合いのツテで、ある故人の遺体処置を頼まれたことがあった。

知人の紹介ということもあって、遺族は私に対して丁寧に対応。
大切な客を迎えるように深々と頭を下げ、私を部屋に招き入れてくれた。
一方の私は、「期待に応えねば」と力むと同時に、「知人の顔を潰さないように注意しないと・・・」と、余計なことに頭を働かせた。

働く人の定着率が悪いこの世界では、20代の私でもベテランの域に達しつつあった。
が、一歩外に出れば十分な若輩者。
個人的に、仕事に不安はなかったのだが、遺族からするとただの若造に見えなくもない。
私は、「コイツで大丈夫か?」と不安に思われたくなかったが、かと言って、貫禄を見せようと気張ることが空回りして「生意気なヤツだな!」と不快に思われることも恐れた。
私は、遺族の雰囲気を観察しながら、少しずつ自分の立ち位置のバランスをとっていった。

布団に安置された故人は、とっくに冷えて硬直。
身体は痩せ細り、かなりの血色不良。
頬もヒドく痩け、眼球は半開きで陥没。
口からは詰められた綿がハミだし、唇は不自然なかたち。
腹部には緑黒の腐敗色が現れ、その様は、悲哀を通り越して痛々しいくらい。
それを、少しでも安らかに見えるようにするのが、私に課せられた仕事だった。

故人は、癌を患い、長く闘病。
初期の病状は回復基調。
それが、月日の流れと共に一進一退を繰り返すようになり、更に月日が経過すると、悪化の一途をたどるように。
周囲が演じる楽観顔とは裏腹に、故人の身体は故人に嘘をつかず。
病状が芳しくないことは、誰よりも故人自身が一番よくわかっていた。
そこで、故人は、自らの病状を、医師・家族に問いただした。
そして、覚悟していた余命宣告を受けたのだった。

故人は、生前に愛用していたカジュアルな普段着に着せ替え。
顔を〝加工〟されるのは故人の本望とは思えなかったけど、それは本人のためではなく家族の要望による家族のためのものとして、故人も許してくれるだろうと判断。
そうして、窶れた顔に相応の処置を施し、〝元気そうな顔〟が回復。
それに合わせるかのように、家族も安堵の表情。
柩の中で目を閉じる故人は安らかな表情をしていたが、それは、作られた安らかさではなく、家族の想いを映した安らかさであることを、その時の私は気づかないでいた。

葬儀が終わって後、私の手元に会葬礼状が届いた。
〝ありきたり〟と言っては申し訳ないが、開けてみると、所定の文章で綴られた遺族挨拶が一枚。
普通は、それだけなのだが、そこにはもう一枚。
開いてみると、それは、故人が自分の葬儀のために用意した挨拶文。
そこには、故郷を懐かしみ・家族を愛おしみ、人々に感謝する気持ちが綴られており、末尾には、〝病を得てからの月日は苦しいものだったけど、同時に、人生の幸せや生きる喜びを最高に感じることができた月日だった〟という旨の言葉が書いてあった。

当時、〝自分の死生観は人並以上に育まれている〟と自負していた私。
ただ、その慢心は、自分が気づかないところで自分の死生観を幼稚にさせ、同時に、故人の遺志に対する感性も鈍化。
結果、その言葉に凝縮された故人の想いと意味を理解せず。
ただ、気の毒さばかりが先行する薄っぺらな同情心を抱くことのみで、また一歩、熟練に近づいたような気になっていた。

晩年、人生最高の幸せと喜びを手に入れた故人。
その理由は、何だったのだろう・・・

あれから、十余年の時が経ち、その間、自分の中に何かが蓄積・・・
〝ノウハウ〟とか〝経験〟とか、そういう表面的なものを越えた、
〝哲学〟とか〝思想〟とか、そういう屁理屈を越えた、
〝人生観〟とか〝死生観〟とか、そういう机上観念を越えた何かが蓄積されてきた。
そして、それらは、故人が残した言葉・・・〝人生の幸せ〟〝生きている喜び〟・・・を読み解くヒントを与えてくれるような気がしている。

しかし、こうして生きていて、〝人生の幸せ〟〝生きている喜び〟は、なかなか実感できないのが実状。
実際は、不平・不満・不安、苦労・苦悩・苦渋だらけで、どうしようもない毎日。
目先の遊興快楽で誤魔化さないと、ツラくてツラくてたまらない。

その鍵は、頭と心の関係性の理解にあるように思う。
〝頭と心〟、この二つは、似て非なるもの。
頭の思考と心の感性は、根本的に違うものなのに、混同してしまう・・・
幸せや喜びは頭の思考によって理解するものではなく、心の感性で認識するものなのに、人は、それを頭の思考で得ようと試みる。
〝価値観の転換〟〝思考の変革〟〝志向の変更〟etc・・・自分で自分を変える、いわゆる〝自己改革〟をもって不幸感を打破しようするわけだ。

その昔、この類のことに興味を覚えて、私も何度となく挑戦したことがある。
しかし、結局のところ、それは、〝自分に嘘をつく、もう一人の自分をつくるだけ〟のこと。
単なる、現実逃避・独善主義・自己暗示を促して、幸せや喜びを実感できない自分を誤魔化すだけのことだった。

頭で意識する幸せや喜びは、極めてモロい。
自分に無理強いするそれらは、ちょっとしたことで不幸や虚無感に変化するし、自分に思い込ませるそれらには、人生を貫く力はない。

しかし、心は違う。
その感度は自分でどうこうできるものではないかけど、心がその感性によって受け止める〝幸せ〟〝喜び〟は、理屈抜きにいいもの。
頭では説明がつかない分、広さ・深さ・重さ・堅さ・・・人生を貫く力があるのだ。

では、どうすれば、心の感性を磨けるのか・・・
それは、おそらく、
「〝人生の幸せ〟って何だろう・・・」
「〝生きる喜び〟ってどんなものだろう・・・」
「それは、どこにあるんだろう・・・」
と、悩みながら生きていくことがもたらすものだと思う。
そして、その歩みが、知らず知らずのうちに、心の感性を磨いていくのだと思う。

ま、この程度の抽象的な精神論しか吐けないようでは、私もまだまだ中途半端。
心の感性が鈍い証拠でもある。
だから、もっと考え・もっと生きてみなければならない・・・
死期を得た故人は、身をもってそれを教えてくれたのである。

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